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高橋源一郎「101年目の孤独―希望の場所を求めて」

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作家は、さまざまな場所を訪ね歩いた。ダウン症の子どもたちのアトリエ。身体障害者だけの劇団。愛の対象となる人形を作る工房。なるべく電気を使わない生活のために発明をする人。クラスも試験も宿題もない学校。すっかりさま変わりした故郷。死にゆく子どもたちのためのホスピス…。足を運び、話を聞き、作家は考える。「弱さ」とは何か。生きるという営みの中に何が起きているのか。文学と社会、ことばと行動の関わりを深く考え続けてきた著者による、はじめてのルポルタージュ。
(「BOOK」データベースより)

あのう、このタイトルってガルシア・マルケスの「百年の孤独」をリスペクトしてるんでしょうか。それとも焼酎の?

とはいえ私「百年の孤独」を読んだことないのでね。説明されてもわかんないんですけどね。焼酎の方だったら飲んだことあるんでそっちだと嬉しいんですけどね。

さて。

毎日新聞の人生相談をきっかけに、すっかり高橋インテリげんちゃんに心酔してしまった私。

いやもう本当に良いよ。げんちゃんの人生指南。未見の人は「誰にも相談できません」をお読みになるか、今すぐ毎日新聞の定期購読してちょうだい(回し者)

で、そんな私としては、是非とも高橋源一郎さんの他の本も読みたいと思うのが必定。

でもインテリげんちゃんの本って、何読みゃいーの?

アマゾンで検索しても「これだ!」と思う本がなかなか見つからないのですよ。文芸評論、もしくはちょっと右寄りな思想系。それが悪いってわけじゃありませんが、高橋げんちゃんって昔は小説書いてたよねえ?ペンギン村(読んだけど忘れた)とか書いてたよねえ?

ほぼ20年ぶり、30年ぶりに手を出すには、ちょいとハードルがお高めの最近のげんちゃんラインナップ。いやホントに教えてくださいよ。げんちゃんオススメ本。ソリが合わない系統の本に手を出して失敗したら辛いじゃん。

で、「はじめてのルポタージュ本」と内容紹介にある、この「101年目の孤独」であれば比較的とっつきやすいんではないかと、消極的選択の末に手に取った次第です。ハイ。私はいったい誰に言い訳してるんだ。

「その場所」に来る前、わたしは、身体障害者なら見たことがあると思っていた。それから、わたしは、障害者に対する偏見など持ってはいないと思っていた。そんな風に自分に言い聞かせていた。なぜだろうか。準備をしていたかったのだ。いままでも、そうだった。何の準備もなく、ただ「見る」ことをしたことなどなかった。わたしたちは、どんな風に「見る」のかさえ、誰かに(おそらく社会に)、教わるのである。
だから、最初に「態変」の役者たちを見て、わたしたち観客が受ける衝撃は、かつて「青い芝の会」に参加した障害者を見て世間の人たちが感じたものに近いかもしれない。わかっている。その通りだ。わたしは理解している。そう思っていた。だが、目に入って来た「彼ら」の姿は、あまりに暴力的で、思わず、わたしたちは目をそむけた。
それでも、なおかつ、彼らは、「わたしを見ろ」と迫ったのである。

「101年目の孤独―希望の場所を求めて」は、高橋インテリげんちゃんが日本もしくはイギリスのいわゆる“弱者”の元へ赴き、そこで見たこと感じたことを書いたルポタージュです。

ダウン症の人が通うアトリエ、子供ホスピス、演技する役者がすべて身体障害者である劇団(上記引用の『態変』がその劇団です)。

便宜上“弱者”と書きましたが、実は「彼ら」が弱者であるのかどうかはわかりません。一般社会では“弱者”として扱われてはいますが。

だってそうでしょう?上記引用の通り『態変』の役者さんたちは、劇団のけいこ場で見学する高橋源一郎さんに“強者”として迫ってくる。暴力的なまでに。全然“弱者”ではない。たとえ一般社会で“弱者”として扱われていても。

『態変』以外に高橋げんちゃんが赴いた他の場所でも然り。げんちゃんの前に現れる人々は、いずれも皆さま力強い。本当に力強い。

それは「弱者だけどボク達元気に頑張るよ!」的な強さではなく…例えば私たちがモンゴルの平原に行って、遊牧民の長に対峙したら、同じ感想を抱くんじゃなかろうか。

と考えると、高橋げんちゃんは辺境を旅する旅人なのかもしれません。
そこが代々木であっても、御徒町であってもね。

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わたしたちは、緩やかに坂を下っているのかもしれない。そして、そのことは、かつて想像したように、恐ろしいことでも、忌まわしいことでもないような気がするのである。そのことをわたしに教えてくれたのが、「弱い」人たちだった。わたしが、この本で書いたのは、そのことについてである。うまく伝わることができればいいと思う。

多分、伝わったよげんちゃん。

少なくとも1人、東京のはしっこ付近にいる人には伝わった。

伝わったと思ったことが間違いじゃなければいいと思う。

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