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アガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」

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その孤島に招き寄せられたのは、たがいに面識もない、職業や年齢もさまざまな十人の男女だった。だが、招待主の姿は島にはなく、やがて夕食の席上、彼らの過去の犯罪を暴き立てる謎の声が響く…そして無気味な童謡の歌詞通りに、彼らが一人ずつ殺されてゆく!強烈なサスペンスに彩られた最高傑作。
(「BOOK」データベースより)

さくらの自宅には、現在「そして誰もいなくなった」が2冊あります。

1冊はさくら所有の、清水俊二訳バージョン。もう1冊は娘所有の、青木久恵訳バージョン。国語の授業で使用したそうです。最近の中学校って教材のチョイスがイカしてますわね。

「そして誰もいなくなった」のストーリーや謎解きに関しては、ほんのむしでは割愛します。

簡単に言っちゃえば10人が島に行って10人が死ぬ話よ。以上。詳しく知りたい人はGoogle先生にお願いしてね。

ほんのむしの「そして誰もいなくなった」は、旧訳・新訳の表現の違いについて。

いやあー、訳する人によって、小説の印象って変わるもんなんだなあ。

諸君はそれぞれ、次にのべる罪状で殺人の嫌疑を受けている—–
エドワード・ジョージ・アームストロング、汝は一九二五年三月十四日、ルイザ・メェリー・クリースを死に至らしめる原因を作った。
—(中略)—
ローレンス・ジョン・ウォーグレイブ、汝は一九三〇年六月十日、エドワード・シートンを殺害した。
被告たちに申し開きのかどがあるか。
(訳:清水俊二)

あなたがたは次にのべる罪状で告発されている。
エドワード・ジョージ・アームストロング、一九二五年三月十四日に、ルイーザ・メアリ・クリースを死に至らせたのは、あなただ。
—(中略)—
ロレンス・ジョン・ウォーグレイブ、一九三〇年六月十日に、エドワード・シートンを殺害したのは、あなただ。
裁きの座の被告人たち、あなたたちに申し開きができるか。
(訳:青木久恵)

ねっ?違うでしょ?

訳文によって、島に集まった面々を糾弾する“声”の印象が異なります。

自分がこれまで愛読していた馴染みがあるが故に、旧訳の清水俊二訳バージョンの方を身贔屓にしてしまうきらいはあるでしょう。

それを加味したとしても、清水俊二の言い回しの方が重厚感があるよなあ。『諸君』と『あなたたち』では、糾弾の度合いが違うような気がいたします。

逆に、いま読むには新訳の方がイメージにそぐう箇所もあるのですね。スピードの出し過ぎで子供を撥ねて殺した過去のある、遊び好きの若者、いわゆるチャラ男のアンソニー君。そして第一の被害者。

一人だけ反対したものがあった。それはアンソニー・マーストンだった。「少々意気地がなさすぎるじゃないですか」と、彼はいった。「立ち去るまえに、謎をといて行こうじゃないですか。まるで、探偵小説みたいな話だし、スリル満点ですぞ」
—(中略)—
アンソニーは苦笑いをしていった。「法律にしばられている生活は窮屈ですからね。ぼくは、犯罪を礼賛しますよ!犯罪に乾杯します!」彼はグラスをとって、一気に飲みほした。一気に飲みすぎたのかもしれない。酒が咽喉につかえて——苦しそうにむせた。顔が紫色になった。そして、喘ぐように呼吸をすると、椅子からすべり落ち、グラスが彼の手から床に転がった。
(訳:清水俊二)

『スリル満点ですぞ』が昔っぽいですね。『ですぞ』とは言わないよな現代人は。

対して、青木久恵さんはこう訳します。

ところが、一人だけ反対した。アンソニー・マーストンだった。
「それじゃあ、ちょっとつまらないなあ。出ていく前に、謎を解いたら、どうだろう。まるでミステリ小説みたいじゃないですか。スリル満点だ」
—(中略)—
アンソニーはニヤニヤ笑って、言った。
「法律一点ばりの生活は、窮屈ですよ!ぼくは、犯罪、大賛成だな。犯罪に、乾杯!」
マーストンはグラスを取って、いっきに飲みほした。
あわてて飲みすぎたのかもしれない。マーストンはむせた。ひどくむせた。苦しそうにゆがめた顔が、紫色に変わった。そして、激しくあえぐと——イスからズルズルとすべり落ち、持っていたグラスが、手から転がり落ちた。
(訳:青木久恵)

引用してみて気がつきましたが、旧訳では“探偵小説”と書き、新訳では“ミステリ小説”と書くんですね。時代の空気を感じるなあ。

旧訳の時点では問題視されなかったであろう箇所が、社会の流れによって新訳では変更されている部分もあります。

額をくもらせていたエミリー・ブランドが晴れやかな表情になっていった。「あなたのいう手がわかりましたよ。ロンバートさんは罪を認めましたよ。二十人の人間を見殺しにしたと」
「あれは土人のことです……」
エミリー・ブランドは鋭い声でいった。「黒人でも、白人でも、私たちの同胞であることに変りはありません」
ヴェラは思った。「私たちの黒人の同胞——私たちの黒人の同胞!私にはそんなことは考えられない。気が変になる……」
(訳:清水俊二)

不思議そうに眉根をよせていたエミリー・ブランドは、眉を開いて、言った。「ああ、何を言いたいのか、わかりましたよ。そうね、あのロンバートさん。あの人は二十人の人間を見捨てて死なせたと、認めていましたね」
「あれは、ただの部族民……」
「黒人だって、白人だって、みな兄弟です」エミリー・ブランドはピシャリと言った。
ヴェラは思った。
“黒人の兄弟ですって——黒人の兄弟。ああ、わたし、笑ってしまう。ヒステリーを起こしそう。わたし、どうかしちゃった…...”
(訳:青木久恵)

土人はまじーよ。土人は。「私にはそんなことは考えられない」って、あぁた、21世紀にはアメリカで黒人の大統領が就任したって、アガサ・クリスティさんお考えになられたことある?
そもそもね、旧訳の「インディアン島」も新訳では「兵隊島」に変わっています。

10人のインディアンも10人の兵隊さんに。人種差別の問題で変更されたのだろうという事は推測できますが、元々のマザーグースの歌「ワン・リトル、ツー・リトル、スリー・リトル・インディアン♪」は今でも歌われているのでしょうかね?

「ワン・リトル、ツー・リトル、スリー・リトル・ソルジャー♪」なの?

個人的な好みを言えば、私は旧訳の方が好きです。

この先に再読をするにしても、清水俊二バージョンの旧訳をきっと手に取ることでしょう。でもそれは、すなわち旧訳の方が優れているからという話ではありません。

ウロ覚えですが、村上春樹がどこかで翻訳について語っていました。

原作は完成した時点で、その時代感も含めて古典になるが、翻訳はナマモノなので時に応じて改訂されるべきであると。

例として挙げられていたのが、村上春樹が昔に日本語訳された外国小説を読んだときのこと。
小説の中の「フランス大旅客団」という単語の意味と、話の流れがどうも分からなかったらしいのですね。

それから長い長い時を経て。

誰かの新訳により「フランス大旅客団」が新たに変わった言葉は「ツール・ド・フランス」

ああ、そりゃわかんなかったよねツール・ド・フランス!フランス大旅客団って訳しちゃうよね!

古典に値する作品ほど、時代にマッチした翻訳が重ねられるべきと、村上春樹も言っている。
ムラカミズムに敬意を表し、旧訳も新訳も大いなる包容力で受け止めようぞ。しかしフランス大旅客団って。

【2016年12月追記】

現在NHK BSプレミアムで、イギリスBBC制作の「そして誰もいなくなった」が放送されました。

ドラマをご覧になり、原作に興味を抱いて当ブログにお越し頂いた方もおいでかもしれませんが、このブログでは原作小説に対する記述があまりにも少なく、ドラマの結末を知りたいと希望された方には無益も甚だしいかと…この場を借りて、ドラマ経由でアクセスされた方にお詫びします。ごめんなさいね。

【2017年1月追記】

2016年にイギリスのドラマが放送されたと思ったら、今度は日本テレビで春のスペシャルドラマになるとのニュース。

仲間由紀恵ファンの皆さんが「どれどれ原作はどんなもんじゃい」とお越しになっても…それは昨年の英国ドラマと同じ罠…。

ごめん…みんな、ゴメン…。

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