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角田光代「八日目の蝉」

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逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。
(「BOOK」データベースより)

NHKでやっていたドラマが「八日目の蝉」の初見です。
私はこのドラマを観て、壇れいが好きになった。だから晩酌ビールはもっぱら金麦です(旨いよ金麦!)
 

ちなみにさくらダンナは、ドラマに出ていた子役の小林星蘭ちゃんにノックアウトされ、DVD-BOXまで購入しちゃいましたw
シスター服を着た幼児の星蘭ちゃんが可愛くて可愛くて。
ロ、ロリコン・・・?違う違う!純粋にパパ目線です。

なのでついつい、ほんのむし の感想においても、角田光代の小説というよりNHKドラマの印象の方が強くなってしまう点はご容赦ください。
そういえば映画版は未見だなあ。でも多分観ないだろう、小林星蘭ちゃん出てこないしw
 

さて本題。
「八日目の蝉」は“母”が主役のお話です。

子供を誘拐した“母”、子供を奪われた“母”、逃亡中に関わりをもった数名の“母”、そして、かつて誘拐された子供だった“母”
それぞれの“母性”が描かれています。
 

私も人の母なので、どの母に一番共感する?と聞かれたら、一も二もなく子供を奪われた“母”である恵津子に共感します。
旦那に不倫され(恵津子も不倫してたから、その点おアイコ?)その不倫相手に子供をさらわれて、行きがけに家まで燃やされて、やっとこさ子供が帰ってきたとしても、その子が恋しがる“ママ”は自分じゃない。
それってどんな罰ゲーム?

ちなみに、どうして赤ん坊が誘拐され得る状態だったのかというと、母親の恵津子は、毎朝ダンナを車で駅まで送るkiss and ride(いや多分キスはしないと思うが)の時に、いつも赤ん坊を自宅に残していたから。
・・・って言うとね、世間の人はね「赤ん坊をひとり残しておくなんて!虐待だわ!」って非難するんですよきっと。
フィクションの世界とはいえ、恵津子に対するバッシングは容易に想像できます。

恵津子は子供の安全を軽んじていた。子供を残していたことは過ちだった。
でも、過ちの代償が子供を奪われることだとしたら、そこまで厳しい罰ってそうそう無いよ。
 

娘が手元に戻った後の裁判で、希和子(子供を誘拐した“母”)が言った言葉がこう。

「自分の愚かな振る舞いを深く後悔するとともに、四年間、子育てという喜びを味わわせてもらったことを、秋山さんに感謝したい気持ちです」

 

こんな、こと、言われたら、わ、わたしは、一生涯、相手を、ゆるせないわ。
 
 

つい自分に置き換えたら感情移入しすぎて興奮してしまった。はあはあ。フィクションだってのに。

しかしながら、この「八日目の蝉」は、子供を奪われた“母”の気持ちにも共感する点多かりきながら、その反対に子供を誘拐した“母”の希和子にも共感する点も多かりき。
それがまた困ったところなんですよ。

希和子が最終的に警察に捕まり、小豆島のフェリー乗り場で“娘”の薫と引き離された時に叫んだ言葉。

その子は朝ごはんをまだ食べてないの。

一部の例外(であることを祈る)を除いて、世の母親というものは、子供のご飯のことを考えて生きている。
自分が逮捕される瞬間であっても、当の子供と離ればなれになる瞬間であっても、一番の心配は、子供がお腹すいてないかどうか。
 

その希和子の台詞で、私、心をゆさぶされまして。
その台詞がなかったら、純然たる恵津子派であったかもしれないのですが。
 

子供を誘拐した“母”と、子供を奪われた“母”の、両方の気持ちに共感する二律背反が身悶える所以。
フィクションであることを忘れてついつい感情過多になってしまうのが作者の罠なのか。くそう。角田光代が憎い。
読む度に痛いわ。痛いのよ。

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