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シャーロット・ブロンテ「ジェーン・エア」

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孤児として、伯母に育てられたジェーンは、虐待され、ローウッド寄宿学校にいれられる。そこで八年を過した後、広告を出し家庭教師として赴いた先に居たのは子供と家政婦だけだった。散歩の途中助けた人物こそ、屋敷の主人ロチェスターであると知ったジェーンは、彼と名門の貴婦人とのロマンスを聞き、胸が騒ぐ。孤独と戦いながらも不屈の精神で生きぬく女性を描いた青春文学。
(Amazon.co.jp内容紹介より)

今日4/21は、作者シャーロット・ブロンテのお誕生日だそうです。

おめでとうシャーロット?もう200年も前だけどね。

彼女が生きていた19世紀は、日本じゃお江戸。伊能忠敬が測量の旅にでかけていたあたり。
おフランスじゃナポレオンが居た時代ですよ!いや、すんごい、歴史だわー。

シャーロット・ブロンテを含むブロンテ三姉妹の暮すイギリスは繁栄の時代。ですが女性の地位は男性に比べて限りなく低く、参政権はおろか、女性が自分の意思を口に出すこと自体はしたない事だと言われていたようです。

そんな時代に生まれた「ジェーン・エア」

自立の道を志し、自ら職業につき、目上の人や男性に向かって物言いをし、自ら愛の言葉を口にする。

道義的に奨励されるべき求婚から逃げ出し、自分の愛する人のところへ走る。

当時の社会通念からはまったくもって逸脱した、異色の存在ジェーン。「ジェーン・エア」発表当時のイギリスでは物議を醸し出したと言われています。

「——わたしは踏みつけられはしませんでした。気力を奪われはしませんでした。下等な精神を持った人たちのなかに埋められることもなく、かがやかしい、活気のある、気高いものに接する機会から、のけものにさせることもありませんでした。わたしは、わたしの尊敬するもの、わたしが喜ばしく感じるもの——独創的な、溌剌とした闊達な精神と向かい合ってお話をいたしました。わたしは、あなたをロチェスター様を知りました。永久に、あなたとお別れしなければならないと思うと、わたしは恐怖と苦痛に胸を引き裂かれる思いです。お別れしなければならぬことはわかっております。それは、どうしても避けられぬ死をながめているのと同じでございます」

上記は、ロチェスター家の家庭教師を辞めることになった際にジェーンが言った、当主エドワードへの愛の告白の台詞。

これは愛の告白だとは分からない人もいる。

なんて情熱的な台詞なんだろうと読む人もいる。

さあて、あなたはどちらでしょ。

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「ジェーン・エア」のあらすじなどは、そこらのウェブサイトにごろごろ転がってるので割愛しますが。

今読んでも、なかなかにしてダイナミックなゴシック・ロマンです。

不幸な生い立ちと過酷な暮らし。死体とひとつベッドで過ごした一夜。一人旅、身分違いの愛、抱擁と接吻と繰り返される睦言、屋敷に響き渡る不気味な狂笑、引き裂かれたウェディング・ベール、結婚式の祭壇で明かされた重婚の秘密、放浪、逃亡、夜の林の奥で聞こえる幻の声。

ヴィクトリア王朝の若き娘たちが、これを読みながらどれだけ胸をドキドキさせたかが想像できます。んー、もしかするとね、良家の子女にはふさわしくないとして禁止されていたって可能性も充分ありうる。でもきっと、隠れて回し読みとかしちゃったりするのよね。

今も昔も、禁止されたラブ・ロマンスほど、女子に美味しいご馳走はない。

題名の通り「ジェーン・エア」は、全編彼女の動向を描いたジェーン!ジェーン!ジェーン!尽くしの小説ではございますが、実は、小説の最後の最後だけは、主人公ジェーンではなく別の人物の運命が描かれています。

その人物の名は、セント・ジョン・リヴァース。後半から登場するジェーンの従兄で牧師さん。

彼は伝道師としてインドに赴く意志があり、妻を帯同する必要にかられてジェーンに求婚しました。本当は他に愛する女性がいるのだけれど、裕福なお嬢様が未開地のインドで生きていける筈もない。

女性としてジェーンを愛してはいないけれど、大いなる神への愛を二人のよすがとして、夫婦になれるはずだと。

一度は求婚に応じたジェーンでしたが、結局ジェーンはロチェスター氏の元に走ったので、セント・ジョンはフラれた形に。

独身のままインドに旅立ったセント・ジョンが、インドで死の床につく直前で「ジェーン・エア」は終了を迎えます。

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セント・ジョンは結婚していない。もう結婚することはないだろう。これまで彼は単身苦難に耐えてきた。そして、その苦難は終ろうとしている。彼のかがやかしい太陽は、いま、あわただしく沈もうとしているのである。—(中略)—何を泣くことがあろう。死の恐怖がセント・ジョンの最後の一刻を暗くすることはないだろう。彼の精神は曇ることがなく、彼の心は脅かされることがないだろう。—(中略)—彼自身の言葉が、これを誓っている——
「主は」と彼は言う。「あらかじめわたしにお告げになった。日々、ますます明瞭にお告げになる。『必ず、われすみやかに到らん!』、刻々、ますます熱心にわたしは答える。『アーメン、主イエスよ、来たりたまえ!』」

キリスト教徒でない私にとっては、この結びに関して正しい捉え方が本当にできているのかどうかはわかりません。

ですが、幸せジェーンのハッピーハッピー☆なシーンで終りかたと、セント・ジョンに目線を置いた終わり方では「ジェーン・エア」の読後感が異なっていただろうな、ということはわかります。

インドの地平に沈む落日の、輝きと熱を読んでいる身に伝えてくるような気がして。

なかなかにして「ジェーン・エア」はダイナミックやねえ。英国貴族のお嬢ちゃん方も、きっとドキドキしたことじゃいな。

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