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岸恵子「わりなき恋」

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孤独と自由を謳歌する、国際的なドキュメンタリー作家・伊奈笙子、69歳。秒刻みのスケジュールに追われる、大企業のトップマネジメント・九鬼兼太、58歳。激動する世界情勢と日本経済、混沌とするメディア界の最前線に身を置く二人が、偶然、隣り合わせたパリ行きのファーストクラスで、ふと交わした『プラハの春』の思い出話…。それがすべての始まりだった。容赦なく過ぎゆく時に抗う最後の恋。愛着、束縛、執念…男女間のあらゆる感情を呑み込みながら謳い上げる人生賛歌。
(「BOOK」データベースより)

「失楽園」が世の男性陣の願望充足を図るべく渡辺淳一が提供した男性版ハーレクインロマンスであるとしたら、この「わりなき恋」は、世の女性陣の願望充足を図るべく岸恵子が提供する女性版ハーレクインロマンスなのでしょうか。

女性版ハーレクインロマンスってのも、おかしな言いようではありますけれども。

30歳を過ぎても“女子”と言われるこの時代。

“美魔女”があふれるこの時代。

花の命はけっこう長い♪(by大地真央inニッセイ)のこの時代に、たかだか70歳でオンナを降りてはいけないのよ、レッツ老いらくの恋!と、おフランスの空の下から岸センセーはアジテーションしてらっしゃいます。

いやしかし、70過ぎてオンナを降りないためには、これほどの努力が必要なのかという感想も同時に抱いてしまうのは已む無きところ。

老いらくの恋は、まず状況設定を、これでもか!とばかりにきらびやかに飾り立てるところからスタートせねばなりませぬ。

伊奈笙子は、成田発パリ行きの飛行機に乗るのをためらっていた。

大人の恋といったらお巴里でジュテームモナムールがお約束です。座席は当然ファーストクラスで、シャンパンとトリュッフ・オ・ショコラをかじりながら隣席の男性との運命の出逢い。
初見の会話は、多少なりともアカデミズムの香りを漂わせなければなりませぬ。

「夕陽を浴びて、あかね色に流れていたヴルタヴァ川は、今もあのままなのでしょうね」
相手に聞かせるというよりもモノローグのように呟いた笙子の言葉に、男は驚いたように反応した。
「プラハにいらしたことがおありなのですか」

驚いている場合じゃないわ九鬼さんよ。独り言を言いながら自分をアピールするオンナの技術は、70歳どころか3歳だって履修済よ。

主人公の伊奈笙子さん。その人物像は、どっからどう見ても岸恵子さん本人をモデルにしていると思われる設定なのですが、だとすると作者の岸恵子さんが描く自画像は、まあ何て…何というか…ご自身をこれだけ良く描けるもんだと、70オーバーのマダムの見栄勇気に感服いたします。

別に偏屈でもないし、ざっくばらんで人付き合いもいい。ただ、自分の信念だけは徹底的に貫く。義理も人情も切り捨て、いかなる利害が絡もうと、頑ななほどまでに自分を忠実に生きる。さしたる考えもなく、世の流れに簡単に迎合して楽に生きている人たちから見れば、かなり面倒臭い女のようにも思われがちだが、生来のお人好しで、底なしにやさしいところもある。
それがときどき仇となる。

「アタシはちょっとそこらの人とは違うのよフフン」という自意識の高さが、鼻につくと思っちゃいけない。それだけ自己愛が強くなければそもそもこんな本書けませんぜ。

まあとりあえず、パリ行きフライトのファーストクラスで出逢った二人は、運命のごとく恋に落ちます。

しかしその恋は必ず、男性からの猛アピールによって生まれるものでなくてはなりません。
マダムはいつも、自分の矜持を保ったままで受け身の態勢。

男の情熱と恋慕を聖母のごとく受け止めながら、自分は決して完全には恋に溺れることなく、自分の矜持を保つ。

これは、主人公がシルバー世代だ、という点は、全く影響しておりません。

伊奈笙子さんが恋をしている相手は、そもそも相手の九鬼じゃなくって、自分自身だからね。

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恋人の九鬼が妻帯者かつ5人も子供が居る事実は、さして彼女の心をゆるがしはしません。

だけど、九鬼の元部下の女性からのメールを隠されていた事実は、彼女のプライドが傷つけられて怒る。

久しぶりのセックスをしようとして、肉体的に性交が困難だった時には、自分自身に性欲がないにも関わらず、女としての再復帰に向けて勤しむ。

男のワガママに対しては広い心で許しもするけれど、失礼な態度をとられたり『下品』呼ばわりされた際には激昂する。

基本、彼女が気分↑にも気分↓にもなるのは、彼女のプライドが基準となります。

九鬼さんは恋のお相手ではありますが、飾り物みたいなもんだなあ。

別に九鬼さんじゃなくっても良いしね。他にもいるし。彼女に秘かに恋焦がれて、精神を病んで自殺した四十代の五条クンとかね。しかしすっげえなあっちもこっちも。

「失楽園」と「わりなき恋」を読むと、男の願望と女の願望って、違うんだなあってよくわかります。

渡辺淳一が読者に充足してあげる願望とは

「あらあらどうして私こんな女じゃなかったのにどうしましょうカラダが言う事きかないわいつもはこんな女じゃないのよみんな貴方が悪いのよ」

と、女に言わしめる願望。

岸恵子が読者に充足してあげる願望とは

「私は別に好きじゃないけど貴方がどうしてもって言うなら抱かれてあげても良いわ跪いて愛を乞えば少しくらいは答えてあげる」

と、男に対して言う願望。

どっちもどっちというか、どっこいどっこいというか。

男も女も相手を征服したいのかしら。恋愛はバトルか。戦争か。

もうすっかり平和主義者になってしまった私は、70歳になってから再び恋愛ウォーズに参戦する余力があるとは思えません。今現在でも無理。疲れて。

老兵になってもまだ戦場に赴く勇気に白旗を揚げよう。シルバー世代の胆力、誠に恐れ入りましたーっ!

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