日本における本格探偵小説を確立したばかりではなく、恐怖小説とでも呼ぶべき芸術小説をも創り出した乱歩の初期を代表する傑作9編を収める。特異な暗号コードによる巧妙なトリックを用いた処女作「二銭銅貨」、苦痛と快楽と惨劇を描いて著者の怪奇趣味の極限を代表する「芋虫」、他に「二癈人」「D坂の殺人事件」「心理試験」「赤い部屋」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「鏡地獄」。
(新潮文庫 巻末内容紹介より)
北村薫の小説に登場する昭和初期のお嬢さん方は皆さん、江戸川乱歩の小説をこっそり読んでいる。
「リセット」の真澄ちゃん然り、ベッキーさんシリーズの英子ちゃん然り。
当時、世の良識ある方々からはエログロと呼ばれ、婦女子の読むべき本ではないと禁止された江戸川乱歩ですので、そりゃもう隠れてこそこそとw
禁止されればされるだけ、読みたくなるのが人情ってもんです。
そして北村薫の件の小説を読むと、江戸川乱歩が読みたくなる。
前回ブログ記事からの派生として、大正から昭和初期のお嬢さん方の胸をドキドキさせた江戸川乱歩のご紹介など。
江戸川乱歩の小説といったら「芋虫」や「人間椅子」あたりが有名ですかね?
もしくは「屋根裏の散歩者」か。
そこらへんの有名どころをまとめて読みたい!というワガママを叶えてくれるのが、この「江戸川乱歩傑作選」です。
いやホント傑作選。奇談的な恐怖小説、明智小五郎のトリックもの、退廃的なエログロ系、各ジャンルを一冊にまとめたお買い得物件です。
この充実感がデパートの正月福袋であったなら、開店3時間前から並んだって良いよ、ってくらいですけどねえ。福袋はどうも、いらないモノが多すぎて…。
ちなみに、対になる短編集としては「江戸川乱歩名作選」というのもあります。先に傑作選を読んで、次に名作選という流れがベスト。のような気がする。多分。
「芋虫」は、作者のグロテスク趣味の極限を代表する佳作である。この作品が発表された当時は、プロレタリア文学の盛んだった頃で、反戦小説として激励されたりした。だが作者は、そんな意図のもとに書いたのではないと言っている。苦痛と快楽と惨劇を書きたかったのだと——
(新潮文庫「江戸川乱歩傑作選」解説より)
傑作選の最後を飾る短編「芋虫」は、作者の江戸川乱歩が妻に『いやらしい』と非難されたというエピソードがありまして、いいねえ。いいよお、妻。そんな妻にこそ読ませてみたいという嗜虐心が刺激されゲフンゲフン。
このような姿になって、どうして命をとり止めることができたかと、当時医界を騒がせ、新聞が未曾有の奇談として書き立てたとおり、須永廢中尉のからだは、まるで手足のもげた人形みたいに、これ以上毀れようがないほど、無慙に、不気味に傷つけられていた。両手両足は、ほとんど根もとから切断され、わずかにふくれあがった肉塊となって、その痕跡を留めているに過ぎないし、その胴体ばかりの化物のよな全身にも、顔面を始めとして大小無数の傷あとが光っているのだ。
まことに無慙なことであったが、彼のからだは、そんなになっても不思議と栄養がよく、片輪なりに健康を保っていた(鷲尾老少将は、それを時子の親身の介抱の功に帰して、例の褒め言葉のうちにも、そのことを加えるのを忘れなかった。)ほかに楽しみとてはなく、食欲の烈しいせいか、腹部が艶々とはち切れそうにふくれ上がって、胴体ばかりの全身のうちでも殊にその部分が目立っていた。
それはまるで、大きな黄色の芋虫であった。或いは時子がいつも心の中で形容していたように、いとも奇怪な、畸形な肉ゴマであった。
昭和初期のお嬢さん方がこれを友達同士で隠れて読んでいたのかと思うと、いや、本当にもう、心騒ぐものがありますね!
平成の世のお嬢さん方が今からこれを読んだとしたら…各メディアで日々刺激にさらされているから、活字だけではさほど強い刺激には成り得ないのかしら。
いやいや、そんな事は無いでしょ。
昔だって今だって、いたいけな婦女子の目からは遠ざけておきたいのが、退廃と背徳とエログロナンセンス。
遠ざけられるからこそ、いたいけ(の筈)な婦女子が読んでドキドキしちゃうのが、退廃と背徳とエログロナンセンス。
平成の乙女の皆さん、禁書を隠れて楽しむ喜びを「江戸川乱歩傑作選」で、お知り下さい。
お父様お母様には、ご内密に。