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東野圭吾「恋のゴンドラ」

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この恋の行方は、天国か地獄か。怒濤の連続どんでん返し!
(「BOOK」データベースより)

のんびり読める、軽~い小説。

誰も死なず、攫われず、負傷せず、強奪されず。まあ、騙されはする。

そこはかとなくただようバブル感。

ああ、快楽の読書。

ゲレンデマジック、という言葉を思い出した。ゲレンデで会うと異性が実際よりも何割か良く見える現象のことだ。ゴーグルで顔が確認しづらいとか、ウェアで体形がごまかされるとか、スキーやスノーボードの上手さに目がくらまされるといった理由がある。雪の上で助けられたり親切にされたりして心が動く、ということもあるようだ。

ゲレンデマジック!あったねえ。確かにあった。広瀬香美とチューチュートレイン(EXILEではなくZOO)にも騙された。

とはいえ、先ほど「そこはかとなくただようバブル感」とは申しましたが、実際にはバブル期に書かれた小説ではありません。初版2016年、たった3年前だし。

バブル期を題材とした小説でもないのですが、どうしてなんでしょうねえ?微妙にバブル味がするのは。

おそらくは小説の舞台がスキー場メインであることで、バブル期のホイチョイ映画『私をスキーに連れてって』に連想が飛ぶのではないかと推測されます。はい、個人的に。

スキー場で、恋愛。そりゃ、脳裏に浮かぶのは白いスキーウェアの知世ちゃんですもの!

バブルであろうとなかろうと、スキー場では「恋」が生まれるのがセオリーです。スキーだろうがスノーボードだろうが、昭和だろうが平成だろうが令和だろうが、それは変わりません。

巧者もいれば未熟者もいる。その事実に関しても、スキーでもスノーボードでも、恋のスキルであっても、変わりません。

「恋のゴンドラ」における恋の未熟者No.1は、満場一致でホテルマンの日田さんですね。女性に対してうまい褒め言葉も言えなければ、場を盛り上げるトークスキルにも欠ける。普段着は赤地に白で“闘志”と染め抜いたTシャツ。

ゲレンデ合コン(略してゲレコン)では女性陣に『ないわ~』と低評価な日田さんですが、仕事場ではね!バリいかしたホテルマンよ!ゲレンデを降りると恰好良い、不思議な逆ゲレンデマジック。

まあ、でも所詮は恋の未熟者なのでね。この本260ページの中で日田さん合計3回フられています。およそ85ページに1回ペース。それでもメゲない、あきらめない心こそが恋愛には一番必要なスキルなのかしら。

『私をスキーに連れてって』を封切り映画館に観にいった世代のさくらちゃんですから、当然、当時の冬のお楽しみと言えばスキーでした。
スキーね。スノーボードじゃないのよ。

かつてはスキーが主流、スノーボードは出たてでした。ボーダーはマナーが悪いと、スキーヤーからは悪評ふんぷん。スキー用エリアとスノーボード用エリアに分けられていたりもしましたね。

で、この「恋のゲレンデ」でも、反ボーダー派のスキー大好きシニアが登場します。

「見たまえよ、春紀君。あの恰好を」徹朗が唇を突き出し、顎をしゃくった。
月村はそちらに視線を向けた。二人のスノーボーダーが入ってきたところだった。
「何か問題が?」月村は訊いた。
徹朗は不満げに眉根を寄せた。
「よく見なさい。ズボンをあんなにずり落として穿いとるじゃないか。ただでさえぶかぶかなのに、あんなんでよく歩けるもんだ」
ははあ、と月村は合点した。スノーボーダー特有の腰穿きというスタイルが気にくわないらしい。
「あれはあれでいいの」麻穂がいった。「ファッションなんだから」
「何がファッションだ。だらしない。私にいわせれば不良丸出しの恰好だ」顔を歪め、徹朗が吐き捨てた。

痛い…何が痛いって、私自身がスキー派シニアの徹朗さんに同調してしまうところ。

文中では“旧態依然の自説に凝り固まった老人”として扱われている人物が、実は自分自身に近かったという事実には、結構打ちのめされましたよ。
主要登場人物たちが愛だ恋だとキャッキャウフフしているというのに、何だ私。端役のガンコオヤジとおんなじじゃんか。

BOOKデータベースの内容紹介にあった「怒濤の連続どんでん返し!」が、そっち方面からドンデン来たとはびっくりでした。

浮気男の広太がどうなったとか、浮気女にされかけた桃美ちゃんは復讐できたのかとか、日田さんがフられたのは結局2回なのか3回なのか、とか、気になる点はいろいろとありますが。

ごめんね私、自分に返ってきたブーメランの刃に痛みを感じていて、今はそれどころじゃないの。

軽~い気持ちで読み始めても、のんびり読んでる場合じゃない。実は結構スリリングな「恋のゴンドラ」

君達の恋の行方は、天国か地獄か。私の心中は、天国か地獄か。

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