高校生の時、偶然ピアノ調律師の板鳥と出会って以来、調律に魅せられた外村は、念願の調律師として働き始める。ひたすら音と向き合い、人と向き合う外村。個性豊かな先輩たちや双子の姉妹に囲まれながら、調律の森へと深く分け入っていく―。一人の青年が成長する姿を温かく静謐な筆致で描いた感動作。
(「BOOK」データベースより)
私を含め音楽の素養が無い人間には、たとえ小説であっても「音」が主役の話は避けてしまいがちです。
「蜜蜂と遠雷」とかねー。読んでみたいんだけどねー。少々敷居が高いのよねー。
とはいえ、この「羊と鋼の森」は、基本お仕事紹介モノなので多少は…少しは…音楽と縁遠い人間でも行けるんじゃないかと…。
「いいピアノです」
はい、とまた僕はうなずいた。
「昔は山も野原もよかったから」
「はい?」
その人はやわらかそうな布で黒いピアノを拭きながら続けた。
「昔の羊は山や野原でいい草を食べていたんでしょうね」
僕は山間の実家近くの牧場にのんびりと羊が飼われている様子を思い出した。
「いい草を食べて育った羊のいい毛を贅沢に使ってフェルトをつくっていたんですね。今じゃこんなにいいハンマーはつくれません」
何の話だかわからなかった。
外村くんと同様、私にも何の話だかわからなかった。ハンマー?トンカチ?
次ページで師匠の板鳥さんが答えを教えてくれますが、ハンマーってのはピアノの部品のこと。鍵盤を叩くとフェルトで出来たハンマーが上がって、それが弦を叩いて音が出るんだそうです。
我が家にもかつてピアノが置いてあったのに、知らなかったわー。2階の応接間のピアノでは羊さんが働いていたのねー。
さて。この小説「羊と鋼の森」は、調律師の外村くんが主人公。北海道の自然に囲まれてスクスクと育った健全な青年です。生い立ち的には「スクスク」ってほど100%の健全性はないものの、それでも至極まっとうな精神を持っているのはでっかいどう北海道のパワーか。
外村くんが働く会社の先輩諸氏のゆがみっぷりを見るに、彼のまっすぐさが際立ちます。というか、現代の20代若者と比べてもかわいそうなほどに健全。「汚れないでね…」と思う親心と「汚してやりてぇ」と思うサドっ気を同時にゆさぶる憎いヤツよ(何言ってんだ私)
まあ、外村くんについては置いておこう。
それよりも。私のように音楽の素養が無く、数年間ピアノを習っていた筈なのにいまだにト音記号すら書けない私が「羊と鋼の森」を読むと。
胸が、痛い。
「外村くん、ピアノのタッチって、わかる?鍵盤の軽さや重さみたいに思ってない?ほんとうはそんな単純なものじゃない。鍵盤を指で叩くと、連動してハンマーが弦を鳴らすんだ。自分の指先がハンマーにつながっていて、それが弦を鳴らすのを直に感じながら弾くことができる。その感じが、板鳥さんのタッチだ」
わからなーいー。わからないわ秋野さんー。
あのねあのね、私ね、ピアノの鍵盤を叩いても白鍵しか音がわからないの。黒いヤツ、あれは無視なの。白鍵も「ド」はどこを叩けば良いか、3回くらいそこらへんを叩いてみなくちゃわからないの。
ピアノの基準音となるラの音は、学校のピアノなら四百四十ヘルツと決められている。赤ん坊の産声は世界共通で四百四十ヘルツなのだそうだ。
赤ん坊の産声は「ラ」なんですかそうですか。そうなの?「ラー」って泣いてる?
そして、読んでて一番に胸が痛かった個所がこちら。
「速かったでしょ。あの家は。音を合わせるくらいで特別なことはしないんだ。見た?小学生の子供がバイエルを弾いてるんだよ」
教則本があったのは見た。でも、小学生がバイエルを弾いているのはめずらしいことじゃない。めずらしくないからおもしろくないのだろうか。
「椅子の高さを見たらわかったんじゃない?あの家の子は、もう小学校の高学年なの。それでバイエル。熱心じゃないんだよ、ピアノに対して」
私、バイエル、終わってませーーーーーん!
ピアノを習ったことがないお方に説明しますと、バイエルってのはピアノを始めた子がほぼ最初に使う教則本です。赤と黄色で2冊あるの。
で、ほとんどの子は赤&黄色を1年か2年くらいで終わらせて、ソナタとかソナチネとかに移行するわけですよ。少なくとも昭和の時代は。
3~4年ピアノを習っていてバイエルが終わらなかったっていうのは、ありえないほどに不真面目だったのか、ありえないほどに才能がなかったのかのどっちか。ちなみに私さくらは、その両方。
私がそんなもんですから、私の兄弟も同様。兄・姉・私と3人ともピアノを習って全員が全員、身につかずにピアノがインテリア化してしまったのです。ああ、父よ、母よ、すまぬ…。
ピアノの蓋を開け、試しに鍵盤を鳴らしてみて、唖然とした。ぽーんと鳴らした音が、明らかに狂っている。隣の鍵盤を叩いてみると、それも違っている。隣も、隣も、全部違う。音が割れ、響きは濁り、気持ちが悪くなるほどすべてがバラバラにずれてしまっている。これは大変な作業になる、と直感した。僕に調律することができるだろうか。
実家のピアノは、昨年に処分するまでほぼ放置。実家に集合したときには姪っ子たちがたまーに弾いてみたりしてました。
でも調律なんて「なにそれおいしい?」状態だったので、おそらくはキーもタッチもなにもかもグチャグチャだったのであろうと思われます。そう、外村くんが上記で唖然としているように。
それよりも唖然とするのは、その未調律のピアノの音を聞いて、まったく違和感を持っていなかった私&親族一同の存在。
えーっと、ピアノって、調律が必要だったんですね(汗)
この小説のそもそも論を無下にするような、音感の無さに自分でもびっくり。
やはり、私を含め音楽の素養が無い人間には、たとえ小説であっても「音」が主役の話は避けるべきなのかもしれぬ。
「蜜蜂と遠雷」とか。読んでみたいんだけど。きっとこれよりもさらに胸が痛くなることが容易に想像できて、またぐ敷居はブブカのハードルよりも高い。