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スティーヴン・キング「幸運の25セント硬貨」

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ベッドの枕に置かれた封筒。中には祝福の手紙(「きみはついてるな!」)と25セント硬貨。チップとも呼べない少額すぎるそのコインが、ホテルのメイドにもたらした幸運とは…市井の普通の人間に訪れた特別な瞬間を、名人芸の手業で描いた標題作ほか、天才キングが十年をかけて、瞬間瞬間の全精力を傾注して彫琢した傑作揃い、意外な結末ばかりの全七篇。全篇キング自身の解説つき。
(「BOOK」データベースより)

この短編集は、過日ご紹介いたしました「第四解剖室」と元々は一緒のペーパーバックに入っていた小説を日本で分割出版したものです。

日本出版の経緯については「第四解剖室」をご参照くださいませ。

スティーブン・キング「第四解剖室」
私はまだ死んでいない、死んでいないはずだ。ゴルフをしていて倒れた、ただそれだけだ。それだけなのに。だが、目の前にある解剖用の大鋏は腹へと迫ってくる…切り刻まれる恐怖を描いた標題作のほか、ホラーからサスペンス、ファンタジー、O・ヘンリ賞を受賞

「幸運の25セント硬貨」と「第四解剖室」どっちが好きかと聞かれれば、1も2もなくこちらの「幸運の25セント硬貨」の方が好きです。

どちらも玉石混交で、面白い短編もあればクッソつまんねー短編もあるんですが、どちらかといえば「幸運の25セント硬貨」の方が打率は高い。

特にねー!『一四◯八号室』が好き好きなのー!めっさ心霊現象バリバリのホテルの1室に、ネタ探しのために宿泊した作家と、1408号室の中の“邪悪な何か”の話。宿泊する前の支配人との会話が、その後何が起きるのかを想像させてウッキウキしちゃう。

『L・Tのペットに関する御高説』もなかなか良し。最初は夫婦の“犬派”vs“猫派”の軽ーいお話かと思いきや、どんどん怪しい雰囲気がただよってきて…いや、怖いねえ。犬派と猫派の対立って深刻ね。

表題作の『幸運の25セント硬貨』は、面白いっつっちゃ面白いんだけど、つまらないっつっちゃつまらない。単なる夢オチなんだけど、なんだか結構さわやかな希望あふるるラストで妙な多幸感があります。

で、私、後の短編は玉石混交の“石”だという感想を抱いていたのですが…ここ最近読み返してみたら、“石”だと思っていた短編の『例のあの感覚、フランス語でしか言えないあの感覚』が、異常に存在感を増してしまったのです。

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『例のあの感覚、フランス語でしか言えないあの感覚』とは、アレですよアレ。デジャ・ヴってヤツです。

「あ、これ、何だか前にも起こったことがある気がする…」の、アレ。

日本語で言えば既視感。ですが、確かに“既視感”と書くよりも、フランス語の“デジャ・ヴ”の方がそぐう感じがしますね。

この短編に登場するのは50代前半のビル・シェルトンとキャロル・シェルトン夫妻。旦那様はコンピュータ業界である程度の成功を収めた“おまけにボクはエンジニア”(byヨイトマケの唄)の富裕層に属しています。

休暇には高級車に乗ってフロリダ旅行。キングの小説では夫婦が車に乗って旅に出ると、決まってとんでもないところに連れて行かれるのがオチなんですけどね。

シェルトン夫妻がどんなところに連れて行かれて、どんな悲惨な目にあうかは、ここでは置いておきましょう。
小説の中でもサラッと流されているので、まあどうでも良い(良いのかな)話だ。

問題なのは『例のあの感覚、フランス語でしか言えないあの感覚』つまりデジャ・ヴ。

旅の途中で、キャロルが何度も何度も繰り返す『例のあの感覚、フランス語でしか言えないあの感覚』に陥る度に、何度も何度も繰り返される、できごと。

この短編にもキングが解説をつけていまして、彼はこう書いています。

これはたぶん、地獄についての物語だ。同じことを何度も何度も繰り返す罰を受ける地獄が描かれている。実存主義だぜ、ベイビー、大それたコンセプトじゃないか——アルベール・カミュも顔負けだ。地獄とは、自分以外の人々だという考えかたもある。だが僕は、同じことの繰り返しこそ地獄ではないかと思う。

私が「幸運の25セント硬貨」を初めて読んだのは、おそらく10年くらい前だと思うのですが、その時は上記の解説文について、あまりピンときていませんでした。

文章も内容も理解はできるんだけどね。琴線に触れない感じ?心の奥で、納得できない感じ。

キングの一短編として、良くもなく悪くもなく。上記解説文も、そのまま私の記憶を素通りしておりました。

ですが最近になってこの短編を読み返すと、本文と解説文は、また違った強さで私の胸を突き刺してきます。それは私が年齢を経たからなのか、それとも昨今のこのご時勢がそうさせるのか。

繰り返し繰り返し。同じことを繰り返す。

どんな苦難でも、終わりが見えていれば耐え忍べるような気がするけれども。それともいっそ、すべてが終わってしまうならあきらめられるのかもしれないけど(いやあきらめられませんけどね)

終わったと思ったら繰り返す。過ぎたと思ったら戻ってくる。

これって、確かに、ある種の地獄?

まあ、何でもかんでもコロナ禍のこのご時勢に結び付けようって話じゃありませんよ。でもね、終わりのない苦しみも辛いけれど、終わったと思ったら戻ってくる、それもまた苦しいと、思うのです。

“これから苦難の日々が始まるのだから”祖母はそう言った。そしてキャロルの掌にメダイを押しつけ、鎖を指に巻きつけた。“苦難の日々が始まるのだから”

あかんのう…気弱になっている時の読書は、思わぬ方向からダメージくらう。既所有本であれば知った話なので安心だと考えていた私が甘かった。

皆さんも、ステイホームで読書をするときはご用心を。

とりあえず今のところは、表題作『幸運の25セント硬貨』だけ読んでおいて、他の短編は飛ばしておいた方がよろしいかもしれなくてよ。

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