時は1932年、舞台はアメリカ南部のコールド・マウンテン刑務所の死刑囚舎房。この刑務所で死刑囚が電気椅子にたどりつくまでに歩く通路は、床が緑のリノリウムであることから、通称「グリーン・マイル」と呼ばれている。ここで起こった驚くべき出来事とは?そして電気椅子の真の恐ろしさとは?毎月1冊ずつ全6巻の分冊で刊行され、全米を熱狂させた超ベストセラー。
(「BOOK」データベースより)
もしこれから「グリーン・マイル」を読もうとしている方がいるならば、私はその人を心の底から気の毒に思えます。
何故なら、強いられた我慢をするより、目の前にある誘惑を自ら撥ねのけるのは、もっともっと辛いことだから。
言うなれば、ダイエット中の女性が生クリームこってりのケーキを前にしながら、手を伸ばさずに甘い誘惑と戦うのと同じ。
「グリーン・マイル」では、あなたの克己心が試される。
「おれも、自慢できないようなことをあれこれやってきたがね、自分が地獄に落とされるかもしれないという危機感を感じるのは、これがはじめてだよ」
わたしはブルータスの顔をまじまじと見つめ、これが冗談かどうかを確かめようとした。どうやら冗談ではなさそうだった。「それはどういう意味だ?」
「おれたちは、神の贈り物を殺そうとしてるってことさ」ブルータスはいった。「それもおれたちに害をおよぼしたためしのない男、いや、ほかのだれにだって害ひとつおよぼさなかった男をね。もしおれが死んで、主なる全知全能の神さまの前に引きだされ、神さまからなぜそんなことをしたのかと質問されたら、いったいどう答えればいい?自分の仕事だったからと答えればいいのか? 仕事だったから、と?」
キングがこの小説を発表したのは、アメリカでは若干特殊な出版形態でした。ペーパーバック全6冊、毎1冊ずつ発売していったそうです。
日本のように小説の雑誌連載などがなく、基本出来上がりの書き下ろしがメインのアメリカでは、かなーり特異。
面白くなければ読者を引っ張って次の巻を買わせられない、とすると、確かにキングくらいしか、チャレンジする勇気は持てないかもしれないよなぁ~!
本国アメリカで大ベストセラーになったことに気を良くしたキング先生。翻訳権を売る時にも、原書と同様の出版方式、つまり毎月1冊ずつ6ヶ月連続刊行することを条件としました。
「この形式も作品の一部」だから、だそうです。
だから私 さくらも「グリーン・マイル」が日本で発売された1997年には、友人と『出た?』『出た!』『買った?』『買った!』『きゃー待ってーー!言わないでーーー!』の会話をするのが月一回の恒例に。
発売日に残業しなきゃならなくなったりするとねえ、全くねえ、友人Tが次巻の内容を話し始めるんだよう。アイツ読むの速くってさあ。
だからだね。
2017年の今、あなたがこれから「グリーン・マイル」を読もうとするならば、そりゃ並々ならぬ意志力を奮い立たせなければならない訳ですよ。
既に発刊されている全6冊を「この形式も作品の一部」のキングの意向に従い、あえて1冊ずつ購入してするとしたら、一体どうなる?
まず1巻を買って。
ふーんなるほど、刑務所の話なのね。ずいぶん昔の話で、地味なはじまりだわねえ。一匹のネズミの話に、なんでこんなにページ割いてるの?と、長い導入部に焦れながらも、いやいやキングだし、これで終わるワケないと心をなぐさめて。
その翌月に、2巻を買って。
えーまだネズミの話を引っ張るの?とかなんとか思っていたら、新入り死刑囚ウォートンが登場してから空気がピリピリし始める。きゃー何なの2巻のラスト、クリフハンガー的な終わり方は!
そしてあなたは、1巻の読後には感じていなかった、今すぐアマゾンポチっとなの誘惑を感じ始める。
でも耐えた。偉いぞ。一ヶ月後の早々に3巻を買って。
3巻を読み始めた人は洩れなく書き出しにイラっときます。TVのバラエティ番組やクイズ番組で『続きはCMの後!』と言いながら、CMの後には無駄なCM前の繰り返しとか、雑談めいた別のネタで引っ張られる系。
ディーンは大丈夫なの?!ウォートンはどうなったの?!と、冒頭の老人ホーム話にイライラした御仁は、もうドSキングの罠にはまってる。
しかしあなたが心休まる暇はない。何故なら3巻からついにコーフィが前面に出てくるから。
「なにをしたんだ?」わたしは低い声でたずねた。「このわたしに、いったいなにをしたんだ?」
「助けたんだ」コーフィィはいった。「おれはあんたを助けた、そうだろ?」
「ああ、そうだろうな……だけど、いったいどうやって?どうやって助けたんだ?」
コーフィの奇跡にえええと驚いている場合じゃない。話はどんどん進み、またきたネズミ!
でもこの頃には鼠ミスター・ジングルズに対して、1巻とは全く違う印象を抱いている筈。
なのに、なのにミスター・ジングルズ!クソ役立たずの出来損ないパーシーに踏み潰されて背骨がポッキリ、口から血を吹いた…そこで3巻終了~?!
そしてまた一ヶ月。カレンダーの日めくりを数え数えて、4巻を買って。
「ドラクロワの悲惨な死」って、あれドラクロワ死ぬんですか。いや死ぬのは知ってますけど。そもそも死刑囚なんで死にますけど。
どこがどう“悲惨な死”なのかは、いや、これはねえ。凄いね。何が凄いってこの死に方、実際にアメリカで起こった事件なんですよ。
そして話はまたコーフィだ。彼の秘密と、彼ができること。また突拍子もない計画に、ポールの靴がどう関係してくるのか。
耐えろ、耐えるんだ。
その誘惑に負けないで耐え続ければ、時は過ぎる。一ヶ月先は、いつかはやってくる。5巻が買える。
この巻は引っ張るぞ~。一冊まるまる、およそ一晩だけの話だ。
中心となるのは、皆様ご承知メリンダさんですね。脳腫瘍が彼女の心をも支配して、上品で温かだったメリンダの暴言はすげーぞ。
ストーリー的にも、この5巻は超佳境!いや、ほんと、もう、ドキドキの大作戦なんだから。だって死刑囚を外に連れ出して夜道を…とか?とか!
そして5巻での最大のミッションはクリアしたものの、刑務所に戻れば頭を抱えるような後始末が待っている。
どうするポール?!どうなるポール?!
ここで「もう充分待ったじゃないか、5ヶ月もたったじゃないか」と、最後の最後に気を緩めちゃいけません。
次で終わりと思えばこそ、つい一ヶ月おきルールの解除を自分に許してしまうような甘さを自分の胸に見つけたら、グッと拳を握り締めて忍んでください。
あと、たった一ヶ月。
長い長い一ヶ月。
そして6巻。
……わーーーーー。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び6ヶ月間。
ごめんなさい、耐え忍んだあなたの努力を無碍にする、ずっしりくる結末が待っていることを、お詫び申し上げておきましょう。
つまらないという意味では毛頭なく、あまりにも理不尽というか、登場人物の誰も幸せにならない結末というか。『心洗われる感動的なラスト!』とはほど遠いです。
ちなみに「グリーン・マイル」をトム・ハンクスの映画で観たことがある人にご忠告。原作のラストは、映画のラストとはちょっと違うからね。映画のラストのままだったら、登場人物の誰も幸せにならない結末とは言わないからね。
コーフィの言葉を思い出す——ウォートンはデタリック家の双子のおたがいへの愛を利用して、ふたりを殺したのだという言葉、そしてそういったことは、毎日世界じゅうで起こっている、というあの言葉を。そのとおりのことが起こっているのであれば、それを引き起こしているのは神にほかならない。そしてわたしたち人間が、「わたしには理解できません」といったところで、神はこう答えるだけだ——「知ったことか」
もしこれから「グリーン・マイル」を読もうとしている方がいるならば、私はその人を心の底から可哀相に思えます。
何故なら、強いられた我慢をするより、目の前にある誘惑を自ら撥ねのけるのは、もっともっと辛いことだから。
言うなれば、ダイエット中の女性が生クリームこってりのケーキを前にしながら、手を伸ばさずに甘い誘惑と戦うのと同じ。
そして、そのケーキには、苦い苦い味がする。
「グリーン・マイル」では、あなたの克己心が試される。