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隆慶一郎「駆込寺蔭始末」

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鎌倉街道東慶寺は、「駆込寺」として知られる。寺の前のせんべい屋に居候する。“麿”は、公卿の身を捨て、住持の玉淵尼を守る忍びの棟梁である。せんべい屋の八兵衛・おかつ夫婦もまた忍びである。この三人で、駆込寺に逃れる女を救い、悪をくじくのを、人呼んで、“陰始末”―。今日も、若い女が東慶寺の石段を逃れてくる。「駆込寺」東慶寺に逃れる女たちを救う白皙の剣士“麿”とは―3人の忍者が事件に立ち向かう快作。
(「BOOK」データベースより)

ピラリーン♪
ピーラ、ラ、リッ、ラリリラリーン♪

 

上記は「必殺仕事人」調に。
『婿どの!』は、せんべい屋の店主夫婦と居候の浪人ってことで。

この少女がどれほど傷つきやすいかを知っていることでは、麿の右に出るものはこの世に一人もいない。他人にとっては些細なことが、この少女には深く長い傷を残すのである。己の力の及ぶ限り、この類い稀れな少女を守ってやるのが、自分の天から与えられた生涯の仕事なのではないか。麿はそう思い定めて、たった一人の配下八兵衛を連れ、京を捨てた。

舞台は鎌倉の駆け込み寺、東慶寺。
高辻中納言の姫が尼になって虐げられて逃げてくる女人達を守ろうと東慶寺の主人(住持っていうのね)と心に決めました。
“麿”は、姫君の元許婚。婚約者に逃げられたような状況にも関わらず、男子禁制の駆け込み寺を守るべく、京都から鎌倉まで追いかけてきて寺の間近に移り住む。お行儀の良いストーカーみたいなもんっすね。
 

なにせ駆け込み寺ってくらいですから、そこに訪れるのは誰もが何らかのトラブルを抱えている女性ばかり。
女を駆け込みさせまいと追ってくる夫や親族達も、暴力=正義のキナくさい男達。逃げるだ追うだ、別れる切れるのスッタモンダはあたりまえ。
 

男女の醜い争いごとが、無垢な姫君の心を傷つけるというならば。
元は忍びの麿が、全員たたっ切ってしまいましょう!…というのが、隆慶一郎版「必殺仕事人」の、「駆込寺蔭始末」です。ピラリーン♪シャキーン、グサッ!(←効果音)
 

しかしトラブルの内容が性的被害に偏っているのは、江戸時代の女性達がそれだけ性的に貶められていたということなのか、それとも、連載していた雑誌の読者サービスになるものなのか、果てさて、果てさて…。

「駆込寺蔭始末」は、正直言って隆慶一郎の中でも小品の一冊です。
「ババーンと悪いヤツ出してドカーンと女泣かせて、バサーッと切って殺して、勧善懲悪でドーンと行きゃOKだろ?」みたいな。
でも、結構そういうサラサラーッと書かれた勧善懲悪モノって、読んでいて楽しいじゃありませんか。パルプフィクションのような品のなさ(失礼!)と、水戸黄門のようなお約束(失礼!)が、世のサラリーマン層をくすぐるのです。
いやどんどん物言いが失礼千万になってますが、嫌いじゃないんだよ嫌いじゃ。だって毎日ニーチェなんて、読んでらんないぜ?

<顔だな。顔にしよう>
顔を見て気に入らなかったら殺そう。そう決心したのである。顔できめられてはかなわないと当人たちはいうだろうが、男のすべては顔に現れている。疳にさわる顔の奴は、疳にさわる男なのだ。

「悪い奴ババーン女泣かせてドカーン切って殺してバサー勧善懲悪ドーン」の隆慶一郎節が一番現れているのが、『第二話 幼な妻・おくに』です。
 

内容としては、まあ設定通り駆け込み寺に駆け込んだ娘と追っ手の男がどうのこうの…なんですが、殺すかどうか顔で決めますよこのヒト。顔が気にくわなかったら、殺す。待ってー!顔で決めないでー!

市五郎の声が近づいて来る。馬の蹄の音が近付いてくる。蹄の音は七頭である。
麿が見た。
紋付袴で先導をつとめているのは市五郎だ。人を、いや人の世をなめ切った薄ら笑いが、口もとに貼りついた顔。甘やかされて思い上った犬の顔だ、殺。
騎馬の先頭は北上主水正であろう。頬の肉が垂れさがり、死んだ魚のような眼をしている。荒淫と酷薄の顔だ。殺。
次は代官川辺弥左衛門。鰓の張った、見るからに強欲そうな顔。きょときょとと落ち着かなく動き廻る狡猾な眼。卑しい顔だ。殺。

待ってーーー!
顔で決められては、かなわないーーーー!

しかし人事を顔で決めちゃうエイブラハム・リンカーンと同じく、生死を顔で決めちゃう麿。
顔の好みで殺!と決めて、しかも殺害の描写さえ一行たりとも書かないぞんざいさ!さくっと決めて切って殺してバサー勧善懲悪ドーン!ああ、いっそ潔い…。
 

隆慶一郎版「必殺仕事人」は、突っ込みどころすらも読む楽しみの内のひとつにすると、これが結構また、クセになるんですよ。
頭に流れるBGMは、もちろん、アレね、アレ。
 

ピラリーン♪
ピーラ、ラ、リッ、ラリリラリーン♪

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