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講談社文庫「講談社文庫刊行の辞」

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各出版社の「発刊の辞」が面白いと思っていたのは私だけではないことが、先日のブログ記事「角川文庫発刊に際して」にて判明しました。
諸所の皆さんそれぞれに、お好みの発刊の辞がございますようで。
同好の士がいたことに驚きと喜びを感じつつ、こう言っちゃ何だけど、皆さん地味ねえ。

(一部の)好評に気を良くして、さらに我が家の本棚を漁る!いつまで続くか分からない発刊の辞シリーズ!
お次にお目見えしますのは、『平易ながら名文』とHさんおすすめの講談社文庫刊行の辞。
ちなみに、先日の角川文庫発刊よりおよそ20年後に講談社文庫を誕生させた、当時の社長、野間省一さんですが。
野間さんったら、この講談社文庫を立ち上げた同年に脳出血で倒れてますのよ(死んでないよ)
文庫の発刊って、大変なんだねえ。しみじみ。
社長が身を削って書いた、魂のこもった名文をとくとご賞味あれ。

講談社文庫刊行の辞

二十一世紀の到来を目睫に望みながら、われわれはいま、人類史上かつて例を見ない巨大な転換期をむかえようとしている。
世界も、日本も、激動の予兆に対する期待とおののきを内に蔵して、未知の時代に歩み入ろうとしている。このときにあたり、創業の人野間清治の「ナショナル・エデュケイター」への志を現代に甦らせようと意図して、われわれはここに古今の文芸作品はいうまでもなく、ひろく人文・社会・自然の諸科学から東西の名著を網羅する、新しい綜合文庫の発刊を決意した。
激動の転換期はまた断絶の時代である。われわれは戦後二十五年の出版文化のありかたへの深い反省をこめて、この断絶の時代にあえて人間的な持続を求めようとする。いたずらに浮薄な商業主義のあだ花を追い求めることなく、長期にわたって良書に生命をあたえようとつとめるところにしか、今後の出版文化の真の繁栄はあり得ないと信じるからである。
同時にわれわれはこの綜合文庫の刊行を通じて、人文・社会・自然の諸科学が、結局人間の学にほかならないことを立証しようと願っている。かつて知識とは、「汝自身を知る」ことにつきていた。現代社会の瑣末な情報の氾濫のなかから、力強い知識の源泉を掘り起し、技術文明のただなかに、生きた人間の姿を復活させること。それこそわれわれの切なる希求である。
われわれは権威に盲従せず、俗流に媚びることなく、渾然一体となって日本の「草の根」をかたちづくる若く新しい世代の人々に、心をこめてこの新しい綜合文庫をおくり届けたい。それは知識の泉であるとともに感受性のふるさとであり、もっとも有機的に組織され、社会に開かれた万人のための大学をめざしている。大方の支援と協力を衷心より切望してやまない。

一九七一年七月

野間省一

かっちょええ…。
当時の野間社長60歳。角川源義さん32歳に比べるとトンガってなくて、どこか包容力がありますね。
『いたずらに浮薄な商業主義のあだ花を追い求めることなく』なんてもう、格好良いったらありゃしない。『結局人間の学にほかならない』とか、オトナな貫禄を感じます。素敵。おじさま素敵よ。
この辞が書かれた年は1971年。角川文庫に比べると、時代的にも様変わりしている背景もあります。
ちなみに1971年のヒット曲は尾崎紀世彦の『また逢う日まで』!イメージがなんとなくつながりません?!つながりませんか、そうですか。
講談社文庫では、最近発売した本でも刊行の辞は殆ど掲載しているようです。の筈。私の本棚にある本に限っては。
(東野圭吾の“魅惑の袋綴じ”では掲載されていませんが、あれはまあ特例でしょう)
脳出血で倒れるまで頑張った野間おじさまのためにも、刊行の辞はいつまでも残しておいてください講談社の皆様。
おっさん萌えのさくらのためにも、よろしくね。

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