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諸田玲子「軽井沢令嬢物語」

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GHQ占領下強くしなやかに駆け抜ける、老舗ホテルの娘がいた―。女流時代小説の旗手が情感豊かに描く「苦難」に立ち向かう女性の波瀾万丈の生き様。
(「BOOK」データベースより)

私 さくらは、かつてお洋服やさんに勤めていたのですが。
そのお洋服やさんは、デパート的なジャンル分けをすると高級プレタポルテに属します。ぶっちゃけ言えばお高い洋服ですな。
購買層も比較的年配の、おセレブさん率高し。
どのくらい おセレブさんなのかというと、お客様との会話の中で
 

「○○様は、この夏は軽井沢にいらっしゃいますの?」
「別荘も風を入れたいし、8月に入ったら行こうかしらねぇ~」
「あら、じゃあお暇なときに(軽井沢の夏季店舗まで)お茶飲みにいらしてくださいませ♪向こうでお目にかかりたいわぁ~」

 

…って台詞が飛び交うセレブチックなお客様との会話だ。どーだ異空間だろう。私にも異空間だ。接客は演技だ。
 

北島マヤな私はともかくとして、本当のおセレブさんが盛夏に集うのは避暑地、軽井沢。
軽井沢の散策中にマダム達が立ち寄るのが、ジョン・レノンも愛したクラシックホテル『万平ホテル』
 

この「軽井沢令嬢物語」は、万平ホテルをモデルにした老舗ホテル社長令嬢の、戦前~戦後にかけての物語です。

ひとつお断りを。
「軽井沢令嬢物語」はフィクションです。万平ホテルはあくまでもモデルですので、主人公の麻由子が実際に万平ホテルで暮らしていた訳ではありません。お間違えなきよう。
で、主人公の麻由子ちゃんですが。
 

軽井沢のご令嬢というと、皆様どんなイメージでしょう。ジブリの「風立ちぬ」的イメージを持たれる方も多いかしら。
確かにそれもありですが、この麻由子ちゃんがより強くイメージできるのは、同じジブリでも「火垂るの墓」かもしれない。
 

「火垂るの墓」で、節子が死に、清太も死にかけのラスト近く。『埴生の宿』が流れる中、疎開から帰って来たお嬢様方が「懐かしいわねぇ~」と笑いさんざめくのを見るシーンがあります。
ヒラヒラとしたワンピースをまとって軽やかに走る「火垂るの墓」のお嬢様と、「軽井沢令嬢物語」の令嬢が重なります。
あちらは兵庫、こちらは軽井沢という違いはありますが、戦中戦後の時代、一般庶民と金持ち家庭の間には、今よりももっと大きな格差が広がっていたのだろうなあ。
 

主人公の麻由子が苦労していなかったという事ではないのです。
でも、戦時中に麻由子が女学校を卒業して、軍の徴用を逃れる為に形だけの就職をし、やることがないから一日中ダンスのレッスンにはげむ。
憲兵に見つからないように厚いカーテンを閉め切る苦労を、人は果たして苦労と言うのでしょうか?
 

戦後には、麻由子がゴクつぶしの坊ちゃん旦那のせいで困窮し、米軍のPX商品を闇で横流しする商売をはじめるのですが、それもお嬢様育ち故の強大なコネがあってこそ。
その後はじめたのは、帝国ホテルのシェフに料理を教えてもらうという、なんとまあ贅沢なお料理教室ですよ。
これを苦労と言ったなら、清太と節子が夢枕に立ちますって。ホントに。
 

ですので、この小説を“戦下における女性の苦難の物語”として読んだら後悔します。
じゃあ「軽井沢令嬢物語」って、一体なんなのよ?
 

それは、ホテルです。軽井沢の静かな森の、歴史と伝統を今に伝える、瀟洒なクラシックホテル。
万平ホテル…ではなく浅霧ホテルが主人公の「軽井沢ホテル物語」

ホテルなら、隠れる場所にはこと欠かない。ずらりと並んだドアをひとつひとつ開けてみれば、どこかに眠り姫がいるかもしれない。迷路のごとき階段をたどれば、魔法の国に行けるかもしれない。ダイニングルームに忍び込み、目がまわりそうに高い天井を見上げれば、きらめくシャンデリアが夢の世界に誘ってくれる。お祖父ちゃまがテラスのお気に入りの椅子に座ってミルクティーを飲むところを眺めるのも楽しいし、お姉ちゃまとふたり、ロビーの居心地のよい椅子に座って、お客さまの当てっこをするのも面白い。
軽井沢には…そう、浅霧ホテルには、愉快な冒険が詰まっていた。

メインダイニングに流れるヨハン・シュトラウスのウィンナワルツ、ステンドガラスで色付く太陽の光、ロビーを行き交う紳士淑女。
洗いざらしのシャツのようにさっぱりとして、だけど優雅な、軽井沢の風をそのまま形にしたような。
 

「軽井沢令嬢物語」の作者の諸田玲子は、もともと時代小説系の方なので、小説全体にどことなく“お江戸人情話”の匂いがプンプンします。
舞台の場所も時代も違うんだけどね。なーんとなく、目線が“古いモノ”に向いている気がします。
 

古いもの。過去の栄華。その空間が壊れそうな危機を感じる玉音放送の前日の、ホテル創立者である“お祖父ちゃま”の台詞が、良いんです。

「いいか。日本は変わってしまうだろう。日本人も変わってしまうかもしれん。だが、浅霧ホテルは変わらんよ。変わってはならんのだ。どんな屈辱、どんな苦難にもじっと耐える。耐えて、守り抜く。なぜなら、守り抜くだけの価値があるからだ」

敗戦の後に万平ホテルがGHQに接収されて“どんな屈辱、どんな苦難”があったのかは、戦後の歴史を紐解けば皆様ご承知のとおり。
この話はフィクションではありますが、浅霧ホテルの歴史は、万平ホテルの歴史そのまま。
屈辱と苦難の日々を乗り越えた歴史と、戦前の典雅さが、今でも残っているから、あの空間が素敵に思えるんだろうなあ。
 

だから、さくらは洋服屋時代の昔に戻って、あなたにこう言おう。ちょっと演技過剰気味に。
 

この夏は軽井沢においでくださいませ。
向こうでお目にかかりたいわ。
旧軽でお待ち合わせしたら、テニスコートと教会を抜けて、ご一緒に散策いたしましょう。
歩き疲れたら万平ホテルのカフェテラスで、ご一緒にミルクティーを頂きませんか。

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