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荻原浩「砂の王国」

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全財産は、三円。転落はほんの少しのきっかけで起きた。大手証券会社勤務からホームレスになり、寒さと飢えと人々の侮蔑の目の中で閃く―「宗教を興す」。社会を見つめ人間の業を描きだす著者の新たなる代表作、誕生。
(「BOOK」データベースより)


 

「砂の王国」は、大きく分けて3つのパーツから成り立ちます。
 

ひとつめは、ホームレス生活のサバイバル。
ふたつめは、新興カルト宗教のつくりかた。
みっつめは、巨大組織の内部分裂。
 

ひと続きのストーリーであるのに、それぞれが独立して面白かったりする。
いやー、荻原浩って面白いなあ。
ユーモア小説・エンターテイメント系から段々とシリアス路線に移行しつつある荻原浩ですが、相変わらず読者をひっぱるひっぱる。ハードカバー上下巻の長文をノンストップで一気読みしちゃいます。

ああ、ひとつお願いなんですけどね荻原浩さん。
エンタテイメント系から脱却してシリアス系に行くのはよろしいのですが、中国時代小説の世界に旅立つ作家(浅田次郎とか)と同じ道には行っちゃイヤよ。
ヘイトスピーチはする気はないけど、チャイナ歴史モノは苦手なの。お願いしますね。
 

さて。「砂の王国」。
主人公がホームレスに堕ちて、路上生活を始めたところから話はスタートします。
そこで出会ったのが、口八丁の辻占い師・錦織龍斎と、絶世の美男子・ナカムラ。
とある方法で資金を得た主人公は、人生の一発逆転を図るために、3人で協力してビジネスをスタートさせます。
そのビジネスとは、カルト宗教。
 

「僕が新興宗教を始めるなら、まず教祖に求めるのが圧倒的ルックスと声ですね。容姿に好き嫌いはあっても声には当たり外れがなく、同じ言葉でも説得力が違う。
…(中略)…そこは確率の問題で、耳触りがよく、誰もが否定できない〈きれいな言葉〉を、まして完璧な容姿の人間が語れば、中身は空っぽでも人の心を掴む確率は上がる。
逆に空虚な言葉だからこそ人々がそれを勝手に解釈し、勝手にハマる宗教的構図が生まれるのかもしれない。」
(荻原浩インタビュー抜粋)

 

ナカムラのルックスと声に目をつけた主人公は、ナカムラを教祖・大城に仕立て、ひとつの宗教を創ろうとしました。
 

ちなみにですね。「砂の王国」の中で、一点だけ瑕疵があるとしたら、元手資金の入手方法。
これだけは納得できないわ。だって、なけなしの金を競馬につぎ込んで大穴当てて大金を得るのよ?
オマエは阿佐田哲也か~っ!
金が無いときに馬に賭ければ倍増するのなら、オケラになる奴は居りゃせんわ!
 

まあ、仕方がない、許そう。
3人は多大な幸運と、ちょっとだけ作者のご都合主義で、大金を手にすることができました。
そして、貸しビルの一室を拠点にした、小規模宗教法人『大地の会』がスタートします。
 

ここで主人公の面白いところがですね、自分が作った『大地の会』を、宗教だとは自称しないのです。
便宜的に宗教と言うようになっても『ユルい宗教』と卑下して、自ら教え導くような教義をとらない。
そのために“信者”の庇護欲がかきたてられ、『私たちがなんとかしてあげなくちゃ』と、周りが勝手に『大地の会』を大きくしてくれる。主人公の計算通りに。
教祖・大城のカリスマ性ありきの手段ではありますが、政治家ちっくですね。上手いなあ。
 

女性層、若者層を上手く取り込んでいった『大地の会』は、あれよあれよという間に大きく成長していきます。
主人公の思惑通りに、成功をおさめて大規模な新興宗教と化した『大地の会』
ですが、巨大化したが故に、徐々に歯車が軋みだして行きます。

「木島は、ぼくをどうしたいの?」

操り人形だとばかり思っていたナカムラ=大城の、過去の秘密。そして隠されていた意志。
もともと3人のつながり磐石ではなく、金銭を主として手を取り合っていたにすぎませんでした。
そして大金と権力を得たことによって、その関係性に綻びが目に見えてきます。
『大地の会』は、大地に根ざした大木ではなく、所詮は砂で出来た城でしかなかった。
 

じゃあ、『大地の会』はどうなる?
砂で出来た城は崩れてしまう?
 

いえいえ。
一旦走り出した宗教は、もはや個人がどうこう出来るレベルではなくなってきます。
“個人”と“信心”がケンカをしたら、勝つのはどっちか決まってる。
 

『大地の会』が、砂の楼閣であった事実に気付いてしまった主人公がどうなったかの詳細は秘しておきましょう。
でもひとつだけ。
「砂の王国」は、主人公の所持金が3円から、10円になるまでのストーリーです。
およそ800ページで7円。コストパフォーマンス的にいったら、お買い得よ。

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