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荻原浩「海の見える理髪店」

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店主の腕に惚れて、有名俳優や政財界の大物が通いつめたという伝説の理髪店。僕はある想いを胸に、予約をいれて海辺の店を訪れるが…「海の見える理髪店」。独自の美意識を押し付ける画家の母から逃れて十六年。弟に促され実家に戻った私が見た母は…「いつか来た道」。人生に訪れる喪失と向き合い、希望を見出す人々を描く全6編。父と息子、母と娘など、儚く愛おしい家族小説集。直木賞受賞作。
(「BOOK」データベースより)

ずっと昔に読んだ本が、初見の時にはまったく自分の琴線に触れていなくても、その後再読した時に心揺さぶられる本があります。

私のにとって、この「海の見える理髪店」はそんな一冊です。

私事ではありますが、先日我が娘が20歳の成人式を迎えまして。

いや~このコロナ禍の昨今で、成人式が開催されて本当に良かった!振袖姿の娘は鼻から脳みそ出てきそうなぐらい愛らしく、母たる私は区開催の成人式や高校の同窓会に出かけていく娘を、まさに視姦しそうな勢いでベタベタに見つめておりました。娘も行っていたけれど、自分自身でも気持ち悪い母親ですね。

今でも目を閉じれば、脳裏に浮かぶ振り袖姿の娘の愛らしさ…ごめんド変態で。

さて。娘の成人式とこの本が、どう関係するのかと言いますと。

美絵子は這いつくばり、目尻を拭いながら、ディスクを拾う。涙で震える声で呟く。
「一月なんて早く終わっちゃえばいいのに」
私は一緒に拾っていた手を止めて美絵子の背中を撫で、あやすように叩く。自分自身が同じことをしてもらいたい気分だった。座卓の上に移されたぬいぐるみのウサギが、黒いビーズの瞳で私達をじっと見つめていた。
「このままじゃ、俺たち、だめだ」
私も涙声になっていた。

この短編集の中の一編「成人式」は、自分の一人娘が生まれて20年後、成人を迎えるときの出来事です。

とはいえ、娘の鈴音ちゃんは実際に成人を迎えはしません。

鈴音ちゃんは15歳の時に交通事故にあい、すでに亡くなっているのです。

だから主人公は娘の成人式を実際に体験することがない。それは妻の美絵子さんにとっても同じです。

心の痛みは時間が解決してくれる。よく聞く話だ。そのとおりかもしれない。
だが、解決するのは、いったい何年先なのだろう。

精神的に大きなダメージを負いながらも、なんとかかんとか折り合いをつけて静かに暮らしていた2人でしたが、娘の成人が近づくにつれて呉服屋から娘あてに次々と振袖カタログが届き出します。

小説の中では成人式の前年くらいですけどね。リアルではもっと早いです。

あのねびっくりですよ。今時は振袖を準備するのは、成人式の前年どころか2~3年前だったりするんです。美容院の予約とかの関係で。下手すりゃ高校3年生で振袖を誂えるような人も。

おーい。世の中の、娘さんをお持ちのお父さーんお母さーん!あなたたちがやってる振袖用の積立貯金、もしかしたら予定よりももっと早く必要になるかもよー!要注意よー!

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話を戻して。

「成人式」で、心が壊れてしまわないように主人公夫婦が何をしたのかというと。

娘さんの代わりに成人式に出席しようと考えたのです。妻は振袖を着て。ついでに夫は真っ赤な羽織袴で。

えーと、ハタから見りゃ滑稽もいいとこです。この小説内でも「こいつら頭おかしーんじゃねーのか」くらいな目で見られています。

それでも2人はあきらめきれない。

永遠に振袖を着られない娘の代わりに振袖を着なければならないほど、ヤケッパチで滑稽な行動をしなければ、心に空いた大きな大きな大きすぎる穴に落っこちて、2度と上がってはこられない。

…で、結局2人はどうなったのか、彼らは鈴音ちゃんの代わりに自治体主催の成人式に出席できたのか、それは割愛しますけど。

昔、この「成人式」を読んだときには、私はドタバタ喜劇だと捉えて一読後スルーしていましたが。

今年になってたまたま再読したところ、この小説がドタバタ喜劇じゃなく、胸の奥をグワッと揺さぶられるような悲喜劇(喜劇的要素は否定できない)に変貌していたのです。極私的に。

いま引き返したら、また嘆きと悔恨の日々が始まってしまう。それを今日で終わりにしたかった。
鈴音のためというより、自分たちのためだ。たぶん、私たちは、同じところを揺れてばかりの悲しみのメーターを、どこかで大きく振り切らねばならないのだ。
私と美絵子にも成人式が必要なのだ。

小説は、読む人の状況によって受け取り方が違う。

この「海の見える理髪店」もしかり。

この短編集の別の短編や、荻原浩の他の小説、はたまた別の小説家が書いた別の小説も、いつか再読した時に180度違う感想を抱くこともあり得るのでしょうか。

…そう考え出すと、本が捨てられなくなっちゃって困るんだよなぁ。我が家のそう大きくない本棚にも限りがあるんですけど、いったいどうしたらいいんでしょうか。

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