仕事はできるが運の悪い女探偵・葉村晶が帰ってきた!
探偵を休業し、ミステリ専門店でバイト中の葉村晶は、古本引取りの際に白骨死体を発見して負傷。入院した病院で同室の元女優に二十年前に家出した娘探しを依頼される。当時娘を調査した探偵は失踪していた――。
(「BOOK」データベースより)
ハードボイルド小説の主役が負傷するとするならば、普通には敵対者に襲撃されての怪我を想像します。
ましてや、主人公が探偵を生業としているならば、調査を妨害する為に脅しをかけられたり、襲われたり。
不運な女探偵・葉村晶が“不運”と冠される由来は、負傷の原因にあるのではなかろうか。
たとえば、葉村さんが「さよならの手口」でケガした最初は、押入れの底が抜けて床下に落ちたから。
…ハードボイルドじゃあ、ないよなあ。
「悪いうさぎ」以来13年ぶりの葉村晶さん。フリー契約していた探偵事務所が閉鎖されて後、探偵業はちょっとお休みして古本屋のバイトをしています。
収入も減って国税と都民税と市民税と国民健康保険と国民年金の支払に恐々。あのねえ、住民税と国民健康保険は、前年度の収入を元として計算されるから、前の年から給与がガクッと減ると、収入がないのに税金だけは多いという、なかなかにキツい状況が待ってます。
ちなみに会社勤めしてて高給取りの人が退職して国保に変わったりすると、そりゃもうソラ恐ろしいほどの納付書が到着して目の玉飛び出ますよ。社会保険の会社負担もなくなるしね。いやもうすっごいから。
しかしながら、葉村さん。『探偵としてはまずまずの腕前で、同年代の会社員よりずっと稼いでいた』と自らおっしゃいますが、確かフリー探偵時代には『仕事がなければ即、飢える』と、ヒマな時にはアクセサリー作りの内職を請け負っていた筈なんですけど。13年たって記憶が美化されたのか。
まあ、どちらにしても今現在の葉村さんが経済的な不安を抱いている事実に変わりはなし。そして、作者の陰謀かはたまた運命か、不運が寄せては返す波のごとく打ち寄せるのには、今も昔も変わりはなし。
押入れから床下に落下した葉村さん、古家のカビをしこたま肺に吸い込んで入院。スマホは肥溜めに落ちて交換したスマホも割られ、死にかけのバーちゃんには痣が浮くほど絞り上げられ、刑事には脅迫され転職先には断られ、首は絞められ鼻血は出され、大家には出てけと言われ、倒れた家の下敷きにされる。
病院に行けばナースが廊下をボウリングのボールみたいに滑ってすっ飛んでくる。一冊の間に入院2回、気絶は3回。負傷の回数、数え切れず。
…ハードボイルドって、大変だよなあ。
「さよならの手口」で葉村さんが調査(もしくは巻き込まれ)る事件は、数えてみたら計5件。いっこいっこ説明するのも面倒なんで止めときます。
普通の人だったらね、何かの事件がひとつ起これば、それだけでもう手一杯な訳ですよ。いくら探偵だからといって、5件もの仕事を並行してこなすのは難儀な訳ですよ。たった一冊の文庫本に幾つもの事件を詰め込んで。
その渦の中に放り込まれる、それ自体が、ハードボイルド女探偵・葉村晶の不運なのではなかろうか。
若竹七海の、ドS心あふるる小説の主人公に選ばれてしまったことこそ、葉村晶の最大の不運なのではなかろうか。
そして、葉村晶の不運を心待ちにしている読者の私たちこそが、葉村晶の不運の原因なのではなかろうか。
ごめんね葉村さん。
貴女の不運を、哀れと思いつつ堪能している私たちを許して。
これから次の短編集「静かな炎天」を読むんだ。多分、また不運だとは分かってる。ごめんね、でも、すっごく期待してるよ。