川柳は俗なるものではあるけれど、俗きわまれば雅にいたるもの、何でもない日常の瑣事を詠んで人生の核心を衝くのである。この本にえらび採られている古川柳は、「柳多留」の中でもことさらの佳句で、古川柳の代表作ともいえるであろう。
(「BOOK」データベースより)
五十嵐貴久の「1985年の奇跡」を当ブログで採り上げた際に、ツイ友ちゃんIさんからお送り頂いた感想。
(Iさん勝手引用ごめんなさいね)
20~30年前だといろいろ変わってることに驚きがありますが、もっと前だと逆に変わってないことに驚きがでますよね(^_^;)
確かに!
30年前はフローリングが板敷扱いで、携帯電話なんてギョーカイ人かヤクザしか持ってなかった。スパゲッティといえばミートソースかナポリタン、アラビアータやらジュノベーゼなんて、一体何の呪文だよって世界でしたね。
30年前と今を比べると、だーいぶ違う。
でも、200年前と今を比べても、まるきり変わってないことも、ございます。
「くどかれて あたりを見るは 承知なり」
お江戸の昔も、平成の今も、
変わらないのは、人の心。
「風流江戸雀」は、今は亡き杉浦日向子さんが、江戸時代の川柳集「柳多留」に載っている古川柳を拾いあげて漫画にした作品集です。
ふたつの川柳の間に4ページの漫画を入れて、針と糸でつぃ…っと繋げるように、ひとつのストーリーにしています。
「目も耳も ただだが口は 高くつき」
「寒い時 おまえ鰹が 着られるか」
「屁をひって おかしくもない 一人者」
「物思う 相手がなさに 蚊帳を釣り」
「四角でも 炬燵は野暮な ものでなし」
「母の手を 握ってこたつ 仕舞われる」
うーーーーん、文字で川柳だけ引用しても面白いっつっちゃ面白いんだけど、ビジュアル無しだとやはり半減しますね。
興味がおありの方は是非とも漫画込みでご覧くださいまし。その方が何層倍も楽しいから。
先に話を戻しますが「風流江戸雀」…というより「柳多留」の話には、夫婦の話が多い。
で、今も昔も、変わらないんですよねー、旦那の浮気心と女房のヤキモチ!
お江戸の町にはほら、吉原って殿方のパラダイスもありますしね。旦那が仲間と紅葉狩りに行くなんて言いだしたら『その紅葉色は行灯か!』と、浮気防止の策を講じる奥方もあり。奥方の悋気から逃れる亭主の苦心もあり。
夫婦でなくても、題材として多いのが男と女の色恋沙汰。
惚れたはれただ口説いただ、若い娘が良いだ年増の色香が勝るだ、粋筋の艶っぽさが一等だ…と、今も昔も、男が考えるこたぁ、かわんねーな。
男が変わらないのと同様に、女も。
若い娘も、古女房も、オンナゴコロっつーのは、かわんねーな。
「あたりをきっと見渡して 文を出し」
「笑って見 ぷんとして見る 鏡の間」
「胸ぐらを 取った方から 涙ぐみ」
「風流江戸雀」を見ると、お江戸の庶民の皆さんが、ちょっと間抜けで、だらしなくて、くだらなくて、ちょっとゲスで、毎日ジタバタしている可笑しみを感じます。
平成の私たちが、ちょっと間抜けで、だらしなくて、くだらなくて、ちょっとゲスで、毎日ジタバタしているように。
30年前と今を比べると、だーいぶ違う。
でも、200年前と今を比べても、まるきり変わってない、ものもある。