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山本周五郎「ならぬ堪忍」

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城代家老の“御意討ち”を命じられた新八郎は、直に不正を糺すが、逆に率直な説明を受け、初めて真実を知る。世間の風聞などは信を置くに足らぬと説いた著者の人間観が現れる「宗近新八郎」。藩の“家宝”が象徴する武家の権威を否定して“人間第一主義”を強調する「浪人走馬灯」。生命を賭けるに値する真の“堪忍”とは何かを問う「ならぬ堪忍」など戦前の短編全13作を収める。
(「BOOK」データベースより)

今っ!

すぐっ!

大きな山のてっぺんで叫びたい!

山本周五郎は、いいぞぉぉぉ~!
いいぞぉぉぉ~!
いいぞぉぉ~っ
いいぞぉ~っ
 
こだまでしょうか。いいえ、誰でも。(byみすず)

「もしこの先の生涯で、ただ一人の作家の小説しか読めないとしたら誰にする?」
と聞かれたら、かなり悩んだ末にチョイスする可能性が高いのが、この人。山本周五郎です。
 

そして山本周五郎の中でも、特に世の婦女子達におすすめしたいのが「ならぬ堪忍」です。
あのねあのね、きゅんきゅんするのよ「ならぬ堪忍」!女子が身悶えるきゅんきゅん系。
 

純文学ではなかなか売れず、大衆作家として評価されることに忸怩たる思いもあった山本周五郎(らしい)。
しかしながら、その評価も已む無しかな。だって面白いんだもの山本周五郎の『娯楽読物』
正に、本は娯楽。山本周五郎を教科書チックな“お利口作家”に含めちゃMOTTAINAIよ。

「ならぬ堪忍」の中で特にお気に入りなのが『白魚橋の仇討』(しらおばしのあだうち)という作品です。
舞台はお江戸八丁堀。父の仇をとるために旅を続ける3人の母子。
討つべき相手は、父同士の不幸な諍いにより周囲に強いられ、已む無く仇討ちをしなければならなくなった幼なじみ。
 

討たれる側は、自分が敵として探されていることも知らず、行方知れずの母子を想い。
討つ側は、感謝こそすれ遺恨のない相手を、殺す為に探し。
 

そして出逢う、白魚橋のたもと。
 

ここから講談調の仇討ち風景がっ!
ベベンベンと、講談師の語り口調でお読みくださいっ。

「聞かぬ、抜けっ」
喚くと見る、た、真向から斬込んできた。
それ喧嘩だと街巷は右往左往の人の浪、そこを掻き除け掻き除け、甲斐甲斐しく身支度した娘、お美代が此場に出て来た。
「や、お美代殿」
驚いて三郎の叫ぶ間もなく、懐剣を抜いて、
「父の敵」
と唯ひと声、弟と倶に斬りかかった。
懐かしやお美代殿、私はどんなにそなたを尋ねたかしれぬ、さても綺麗になられた事よ、宗太郎殿も成長されたなあ、小母さまは無事か、と口迄言葉は衝いて出ながら、相手は白刃を振るって自分に迫る、討つも討たれるも是、乳兄弟。

2行目の「た、」が良いでしょ、「た、」が。打ち間違いじゃないよ。
ここから仇討ち始末までの数ページもいかしてるんですよ。ベベンベン。扇子を打って語りたい。
しかしながら数ページ引用したらさすがに怒られそうなので、本で是非お読みください。ベベンベン。
 

で、講談調の語り口調気持ちよさで秀逸なのが『白魚橋の仇討』だとしたら、女子きゅんきゅん萌えの筆頭が『新三郎母子』
娘 貞江が台所で仕事をしていた時に、突然訪ねてきた若侍。

「失礼仕る」
「は———」
「まことに恥入った次第でござるが、米の炊き様をお教え下さるまいか———?」
「は———?」

いやーんもう何これ。有川浩の「植物図鑑」的展開、あるいは小川彌生の「きみはペット」的な。
 

山本周五郎が戦前の作家だからって、いわゆる文豪的な、教科書チックな“お利口作家”に含めちゃMOTTAINAI byマータイさん。
いまのおじーちゃん&おばーちゃん達がきっと若かりし時は、山本周五郎を読んでダンスィはワクワク、ジョスィはきゅんきゅんしていたに違いないんです。
月日がたっているという、ただそれだけの理由で、ワクワクときゅんきゅんの権利を逃すなんてMOTTAINAI。
 

平成の女子達よ。いや、男子達も。
娯楽小説の月刊雑誌を回し読みしてた学生気分で、周五郎できゅんきゅんしようぜ!

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