太平洋戦争末期、阪神間大空襲で焼け出された少年が、世話になったお屋敷で見た恐怖の真相とは…。名作中の名作「くだんのはは」をはじめ、日本恐怖小説界に今なお絶大なる影響を与えつづけているホラー短編の金字塔。
(「BOOK」データベースより)
小松左京といえば、数々の長編小説が映画化されていますね。作家名は知らなくても作品名は知ってるよ、って人も多いはず。
ちなみに私 さくらはっ!小松左京の映画化されたものといえばっ!「復活の日」が断トツNo.1ですねっ!若き日の草刈正雄が、んもう貧血おきそうなくらいカッチョ良いですねっ!
長編あれこれもいつかはそのサイトで書きたいもんですが、ひとまずは小松左京の自選恐怖小説集。
なんとなくね、最近の世情でね、このところこの本が気になっているの。
「霧が晴れた時」は、収録短編の殆どが、戦争にかかわる内容の話です。
かつて実際にあった戦争だけではなく、どこか違う異次元の日本での戦争か、もしくは、これから先の、あるかもしれない戦争か。
どの短編も甲乙つけがたいのですが、極私的に一番ギュッときた話が、『影が重なる時』という話でして。タモリの「世にも奇妙な物語」でもやった事があるみたいですよ。
ニッポンのどこかの地方都市で、突然ユーレイ騒ぎが起こりはじめます。
ユーレイといっても死者の亡霊ではなく、現れたのは当人達。もうひとりの自分。いわゆるドッペルゲンガーですね。
でもそのドッペルゲンガー、人だけじゃないの。動物も、モノも。例えば車や電車でさえも。
そこの地方都市以外には、なぜだか全然あらわれないのだけれど。
ドッペルゲンガーが出てきたとしても、他の人には見えません。
触れることもできません。
だけど当人だけは、自分のドッペルゲンガーが見える。見えるだけじゃなくて、そのドッペルゲンガーが居る空間には入り込むことができない。自宅のトイレを自分のドッペルゲンガーに占拠されてしまった人はかわいそーですね。
理由もわからず、対策もとれず、日々がすぎるごとに。
それぞれのドッペルゲンガーは、その影を濃くしていく。
うっすらとしていた姿が段々と見えるようになって、実在感を増していく。
様相がはっきりとしていくにつれて、新聞記者である主人公が気になってならないのが、自分のドッペルゲンガーの表情。
恐怖にとらえられた必死の形相に、何かが起こるんじゃないかと胸騒ぎがしてならない。
知り合いの科学者が、遠まわしながらにたてた予測も、その胸騒ぎを増大させる。
(おい科学者、もっとちゃんと言っとけよ!)
そして、主人公のドッペルゲンガーが手に持っている新聞の日付の、当日になって。
主人公は気付く。ドッペルゲンガーがつけている腕時計の時刻と、ドッペルゲンガーを照らす太陽の光の向きの“ずれ”に。
この光は太陽ではない。
じゃあ、何の光だ?
同じ日。某国が、核を搭載したロケットを宇宙に飛ばす実験をするというニュースがあって。
恐ろしい推測と、これから起こる現実を知った主人公が、その場から逃げ出そうと走り出したときに。
向かうその先には、毎日見ていたドッペルゲンガーの影があって。
これまで入り込めなかったその空間に、その瞬間、入り。
影が重なる時。
なんとなくね、最近の世情でね、このところこの本が気になっているの。
私は、私の影を、見たくないのですけれど。
見なくてすむのよねえ?影が重なるときが来ないと信じてて、良いんですよねえ?