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堀江貴文「ゼロ」

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堀江貴文はなぜ、逮捕され、すべてを失っても、希望を捨てないのか?ふたたび「ゼロ」となって、なにかを演じる必要もなくなった堀江氏がはじめて素直に、ありのままの心で語る、「働くこと」の意味と、そこから生まれる「希望」について。
(「BOOK」データベースより)

ホリエモン。ホリエモン。ほんわかぱっぱほんわかぱっぱホリエモン。
出所してから最近になって、またまたメディア露出が増えてるなー。
 

この本をさくらが読んだのは1年ほど前なのですが、正直それまで私は“ホリエモン = 山師”のイメージでした。
が、「ゼロ」の中では彼が、真摯(多分)かつ正直に(多分)自分自身を語っていて、読後感から堀江貴文への印象は多少は上がっていたところです。

しかしながら、最近の発言では再びライブドア時代のオレオレ調が舞い戻ってきた感があり、ちょっと残念な気がしないでもない。
私が残念だろうとどうだろうと、彼には1ミクロンたりとも関係ないでしょうけどね。
 

さてさて。
過去のホリエモンと今のホリエモンの、報道やらメディア発言やらをできるだけ頭の中から追い出して、改めて、できるだけ虚心坦懐に「ゼロ」を読み直してみました。
そしたらですね。これでまた結構、頷ける場面が多いんですよ色々と。
 

ホリエモン、改め堀江貴文氏の「ゼロ」というのは、プラスでもなくマイナスでもないゼロ。
プラスになることもあるけれど、ゼロに戻ることもある。でもそれは決して、マイナスになることはないと。

だから、やってみりゃーいーじゃんって。
カッチョ悪いこともあるけれど、キョドることもあるけれど、例えプラスにならなくたって、それはマイナスになる事じゃないよと。
 

それで思い出したのが、以前の書評「ロスノフスキ家の娘」でも書いた我が尊敬すべし前職の女性社長。
彼女は、専業主婦だったのが30代を過ぎてから離婚して、3人の子供を抱えて自分の会社を設立されたというパワフルな人なのですが、その社長の言葉。
 

「何かをはじめようとして『こんな事やったらどうだろう?』って誰かに相談すると、みんな、やらない理由を探すのは大得意なのよね。
 でも、やらない理由を探すよりも、どうすれば出来るだろうかを考えて欲しいの」

 

はじめての事とか、難しい問題にぶち当たると、ついつい『こうだから出来ない』『失敗するから危険』と、やらないですむ理由を述べてしまいがちになります。私も含めて。
でも、それって失敗しても、マイナスになるわけじゃない(経理的には赤字が発生したとしても)
逆に言えば、マイナスを恐れて踏み出さなかったら、ゼロはゼロのまま。
いつまでたってもプラスにはならない。

会社を創業する人って、同じ考え方をするんですかね?
我が社長の言葉は、10年以上たった今でも、なんとなくの心の指針になっています。難しいときもあるけどね!

堀江貴文氏の「ゼロ」については、後半になって段々と自己啓発本的な側面が出てくるところがモヤモヤしますが、もし今“一歩踏み出す”事にためらう人がいるならば、その人はこの本を読んでも良いかもしれない。
この本が背中を押してくれるかもしれない。
 

プラスになる人もいるかもしれない。でももしかしてゼロかもしれないよ。でもマイナスじゃないよ。だってゼロはゼロだから。

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