未婚のプロ、ジェーン・スーの真骨頂!
(「BOOK」データベースより)
私 さくらはこの本を読んで、ひとつの教訓を得た。
それは『本は読まなきゃわからない』
考えてみれば当然のことなんだけど。
数年前に「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」が話題になった時には、さして読もうという気にもなりませんでした。
書店でパラ読みはしたこともありましたが、喧嘩上等的なタイトルと、本の背表紙に書かれている引用の抜粋
理屈より気分を優先する女子メンタリティは、社会的弱者に宿るからこそ輝くもの。
社会経験とコズルイ知恵と小金を備えた女たちが「女子! 私たちはずっと女子」と騒ぎ出したら、暴動みたいなものです。
これだけ見たら、この本の内容は“イイ年こいていつまでも女子と自称してる滑稽さ”を嘲笑う内容の本だと思うじゃありませんかー?
私だけ?そんな筈ない。同じように思った人はきっとどこかにいる筈だ。
そんな風に思って敬遠していた・・・いや、正直に言おう。そういう内容の本だと予想し、それで読んだ気になっていた。
しかしながら。
実際に手に取った本は、まるで正反対だったのです。
正反対だった、とまでは言いすぎか。
読む前に予想していた“イイ年こいていつまでも女子と自称してる滑稽さ”についても、自身の自嘲を込めるように書かれてもいます。
でも、ジェーン・スーの言いたいことはちょっと違う。
ジェーン・スーが言う“女子”とは「大人になったら消える蒙古斑」ではなく「気付いていたら身体に掘られていた刺青」
実は、女子女子言っている女たちも、自分がもう女子という年齢でないことを充分自覚しております。それでも「自称女子」が跋扈するのは、「女子」という言葉が年齢ではなく女子魂を象徴しているからです。スピリッツの話をしている当事者と、肉体や年齢とメンタリティをセットにして考えている部外者。両者の間には、大きな乖離があります。
「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」を読んで、酒井順子の「負け犬の遠吠え」を思い出しました。
あの本も鮮烈なタイトルゆえに、誤解された内容が巷に流布してしまい、“負け犬”という単語だけが一人歩きしてしまいましたよねえ。未だに憤っている独身女性の皆さんよ、「負け犬の遠吠え」も読んでごらんよ。酒井順子は独身女性に喧嘩売ってる訳じゃねーぜ。
あー、あの当時には『全くもう、何だかんだ言うならちゃんと本を読んでから文句言えよなー』と私自身が思っていた筈だったのに!
危うく同じ間違いをしてしまうところだった!
巷で話題になっている本の、話題だけを聞いて読んだ気になってしまうことの愚かさよ。
書評をかいつまんだり、本屋でパラパラ立ち読みでは、『本』と向き合ったことにはならないね。
腰を据えて、ちゃんと向き合って、1ページ1ページ最後まで付き合って、それから好きか嫌いかを決めれば良い。
逆に、そうじゃないと、自分自身の評価なんて決めちゃいけないもんだね。
という訳で、「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」は、私の中で教訓本として位置づけられた一冊でした。
ジェーン・スーにとって望ましい評価なのかどうかは、知らん。
まあ、それでですね。この教訓を生かす為に、近いうちに又吉直樹の「火花」を読んでみようと思う訳ですよ。
「火花」もね、お笑い芸人の人が書いたとか、芥川賞がどうだとか、話題先行で敬遠していたきらいがあります。
でも、話題になっているから読まない、とか。それって食わず嫌いの天邪鬼。
てか只のカッコつけたがり。
怠惰に流されてしまわぬよう、ここに誓う。
今度「火花」を読むぞ。自分の評価を自分で決めるために。
私の中の秘かなる罪源に気付かせてくれたジェーン・スーよ、ありがとう。