神戸・北野町にあるフランス料理店アヴィニョンに若い画家の高見雅道が訪ねてきた。夫の早すぎる死後店を守ってきた典子は、夫の療養中に買った雅道の風景画を個展のために貸すことにしたが、その絵の裏には夫の驚くべき手紙が隠されていた。経営者を続けるか悩んでいた典子の心は、雅道へと傾いていく。
(「BOOK」データベースより)
スペインのプラド美術館に、ヒエロニムス・ボッシュという画家の「愉楽の園」という絵画がコレクションされています。
「花の降る午後」の中で、主人公の若き恋人・雅道が、その絵を見てきた感想を語るシーンがありました。
それを読んで、どうしても、どうしても自分の目でその絵が見たくなった私。
友人と計画していた海外旅行先を、無理やりのゴリ押しでスペインに行ったのは、「愉楽の園」と、その元になった「花の降る午後」が理由でした。
絵画や音楽などの芸術的素養に著しく欠ける私でさえ、強烈に心惹かれてしまうもの。
それがボッシュの画力か、宮本輝の筆力か、どちらが大きかったのかはわからない。
でも、どちらかの力によって(もしくは双方の力によって)、少なくともひとりの人間がスペインまで向かうことになりました。
時として、芸術には、そんな力がある。
とは言ってもですね。別に「花の降る午後」は、芸術がメインの小説ではありません。
舞台は神戸のフランス料理店。主人公は若き未亡人のオーナーマダム。
出会うのは年下の、売れない画家。
二人を結びつけたのは、画家が書いた絵の裏に忍ばせた、亡き夫からの秘密の手紙。
ねっ?舞台立てにワクワクするでしょ?
マダムと画家の恋模様を中心として、振りかけるスパイスとしては前夫の隠し子疑惑、店舗乗っ取りの陰謀、チャイニーズマフィアあたりをちょいちょいと。
主人公の典子に襲い掛かるゴタゴタは、いずれも結構ハードな筈なのですが、あくまでもそれはスパイス。
典子の目線は、あくまでも恋人の雅道に向いています。
恋心と性愛に葛藤しつつも、艶やかかつ上品にマダム業をこなして、家庭のゴタゴタも解決して、店舗乗っ取りもサラリとかわして、その他の雑事もスルスルッとすり抜けて行っちゃうのですけどね。いやあ、女は強いねえ。
かくして典子ちゃん、雅道とイチャイチャしている間に諸々のトラブルもいつの間にか解決し、自分のフランス料理店もますます繁盛、恋人との秘密の恋も上手くいく予感、360°全方向に大・団・円ハッピー!
とはいえ、「花の降る午後」の大団円は、なにも典子の華麗な取り廻しが全ての理由じゃありません。
それは、作者である宮本輝の、ちょっとした優しさから。
(前略)・・・けれども、書き進むうちに、裏を見せようが表を見せようが、一枚のコインに変わりがないとすれば、私の小説の中で、せめて一作くらい、登場する主要な人物が、みな幸福になってしまうものがあってもいいではないかと思い始めたのです。
だから、『花の降る午後』は、作者のきまぐれのお陰で、何人かの登場人物の<幸福物語>として幕をおろします。善良な、一所懸命に生きている人々が幸福にならなければ、この世の中で、小説などを読む値打ちは、きっとないでしょうから。
(「花の降る午後」角川文庫 あとがき より)
宮本輝のちょっとしたきまぐれとちょっとした優しさで、登場人物も幸せ。
で、読んだ側もちょっと幸せな気分になります。
この世の中で、小説などを読む値打ちは、あるってこと。
神戸の街並みを歩いてみたくなるような、素敵な小説でした。
・・・神戸も良いんだけどさ、もっぺんスペイン行きたいんだよなあ。この本を読み返すたびに「愉楽の園」をもっぺん見たくなるんだよなあ。
“すぺいんへ行きたしと思へども/すぺいんはあまりに遠し/
せめては新しき背広をきて/きままなる旅にいでて” ・・・みたいもんだなあ、うん。