ぼくの目の前で、少年がトラックにはねられた。事故のあと町の人間が聞いてきた。「あの男の子、はねられる前は笑ってました?」笑って?…ここはアメリカの小さな町。1人の天才作家が終生愛した町。ぼくは彼の伝記を書くために逗留している。だが知らなかった、この世には行ってはならない町があることを。ファンタジィ・ホラー驚異の処女作。
(「BOOK」データベースより)
マーシャル・フランスという童話作家の本があったなら、私は読むよ。絶対読むよ。
もし子供の頃の愛読書として、マーシャル・フランスの本が友達であったなら、子供時代の心象風景がもっともっと豊かな色彩になったことだろう。
「皿は銀器を憎み、銀器はグラスを憎んだ。互いにむごい歌を歌い合った。カチン。ガチャン。チリン。陰険なやりとりは日に三度繰り返された」。
代表作『笑いの郷』をはじめ、いくつもの童話でアメリカの少年少女の胸をときめかせ、大人になってからも熱狂的なファンの多いマーシャル・フランスの伝記を、かの映画俳優スティーブン・アビイの一人息子トーマス・アビイが著述するとの噂です。
トーマス・アビイ氏は恋人のマリオネット作家サクソニーと共に、マーシャルが生前に住んでいたミズーリ州ゲイレンに赴き、マーシャルの娘アンナへのインタビューを行っている模様。
トーマスの筆により、マーシャルがゲイレンの町に甦るような活き活きとした伝記の完成が待ち望まれるところです。
…が、残念ながら、実際にはマーシャル・フランスは実在しません。
「死者の書」の中に出てくる架空の童話作家です。
とはいえ、ちょっと想像してみてくださいな。
大好きな作家さんがもうお亡くなりになっていて、もう二度と新しい作品を読むことができないとしたら。
あの作品世界をもう二度と堪能できないとしたら。
そして、もしも1本のペンから、死んだ作家を復活させることが出来るとしたら。
やってみたくなりませんか?
「死者の書」の作者ジョナサン・キャロルは、いつもストーリーの前半部分では心温まる和やかな印象があるのが常ですが、「死者の書」でも例外ではありません。
伝記作家の卵トーマス・アビイと、恋人サクソニーとの出会いは、どちらも幼少期に少しずつ傷を負った精神を互いに少しずつ癒す、華奢なワイングラスをそっと持つような繊細さがあります。
そしてマーシャル・フランスの作品世界をそのまま具現化した、ゲイレンの町の人々。親切な隣人。魅力的なアンナ。滑稽なおかしみのあるペットのブルテリア。
本好きの人なら誰も頷ける、書籍と、作品世界に対する愛情。作家への敬意。その人生を文章に切り取る難しさと楽しさ。
このままトーマスとサクソニーが幸せに暮らし、マーシャル・フランスの伝記は完成し、ゲイレンの人々もアンナも恋人たちもいついつまでも幸せに…。
…なって欲しいと願う気持ちを、ジョナサン・キャロルは全て叩き壊す。
「トーマス、もうわかった?」
ぼくはまたベッドに腰をおろした。まだ白いパンツを着けただけだ。
「わかるって何をだよ、アンナ。ここらには喋る犬がいるってことかい?ノーだ。あの男の子が死ぬのをきみが知ってたことかい?ノーだ。ここらじゃ犬が轢かれるとお祝いすることかい?ノーだ。ちなみにそいつも喋る犬だったがね。ノーだ。まだ質問があるのか?返事は全部ノーだからな」
「ネイルズのこと、どうして知ってるの?」
ミズーリ州ゲイレンに仮居を構えて伝記を書きはじめたトーマスですが、ゲイレンの人々の言動に、トーマスは徐々に違和感を覚え始めます。
ゲイレンの町から決して出ようとしない人々。
何か事件が起こる度に、恐慌したり、逆に、誰かが死んでも喜んだり。
トーマスがアンナと浮気をしたあたりからの、サクソニーの体調不良。
寝言で喋る犬。『毛だ。そう。毛の間から息をするんだ』
やがて“ゲイレンの謎”をトーマスは知ることになりますが、それは自分自身が、神を甦らせる魔法のペンを持つことになったという事実でした。
神の復活を歓迎するゲイレンの人々。
ラリーは屁を一発こいてにっこり笑った。「創られる?創られるってどういう意味だ?なあ、いいか、おまえさんは親父さんの中からとび出した、そうだろ?」ぼくはうなづいて肩をすくめた。「おれは別のとこからとび出したってだけさ。ビールもう一杯どうだ?」
ラリーが話している『別のとこ』が何処かというのは、実際に本をお読みくださいませ。
本を読んで“ゲイレンの謎”が判ったら。
さあ、走る準備をしよう。
すぐ逃げろ!午後5時半の列車が到着する前に。
ゲイレンの復活祭が始まったら、主人公の幸せも読者の安らかな気持ちも全て吹き飛びます。それまでのストーリーが明るく幸せであればあるほど、その爆風はハンパない。
だから幸福が吹き飛ぶその前に、尻に帆を掛けて逃げろや逃げろ。もう、ホント、逃げてよ。心折れるから。