失業中サラリーマンの恵太が引っ越した先は、家賃3万3千円の超お得な格安アパート。しかし一日目の夜玄関脇の押入れから「出て」きたのは、自称明治39年生れの14歳、推定身長130cm後半の、かわいらしい女の子だった(表題作「押入れのちよ」)。ままならない世の中で、必死に生きざるをえない人間(と幽霊)の可笑しみや哀しみを見事に描いた、全9夜からなる傑作短編集。
(「BOOK」データベースより)
ちょっと怖い、そして切ない。
「押入れのちよ」に収録されている短編はどれも「ちょっと怖くて」「ちょっと切ない」ストーリーです。
「怖い」と「切ない」には短編毎にパーセンテージが異なっておりまして、怖さ重視の短編もあれば、切なさ重視の短編もあり。
表題作の「押入れのちよ」は、その中では怖さと切なさが丁度半々の比率で、宅配ピザでお得なハーフ&ハーフですね。
しかし一番怖いのは「押入れのちよ」文庫本の表紙だったりする…こえーよ、この写真w
“怖さ”部門No.1を選ぶならば、『老猫』でしょう。
親戚の遺産で古い一軒家を相続した、夫婦&中学生の娘の話。
一家が引っ越したモダンレトロな家屋には、先住民の猫が一匹。
くすぶった毛並みと爛れた皮膚の老猫ですが、何故か妻と娘は老猫“フミ”に多大な愛着を抱いていきます。
引越しに伴い通勤時間が伸びて、自宅を空ける時間が多くなった夫からすれば違和感を覚えるほどに。
夫が感じる違和感は、さらに拡がり。
魚料理ばかり作るようになった妻。汗ばむほどにストーブを炊いた室内。ぬるいお茶。常にただよう異臭。深夜の台所で感じた気配。一人娘の部屋から聞こえる話し声。
リビングから閉め出された猫が、いつの間にかスツールに積み上げられた遺品の山の上に座っていた。スフィンクスを思わせる姿勢で身じろぎもせず、目ヤニで半ば塞がった目を前方に光らせている。自分の領土を犯す者を見張る小さな守護神に見えた。
“家”と“老猫”に不信な念を抱く夫は、徐々に我が家の異分子として追いやられていきます。
異端は大勢にどう立ち向かうか。大勢は異端をどう処理するのか。
老猫の『若い娘の妖艶な笑顔』の視線が怖い、生理的な気持ち悪さを感じる短編です。
対して“切なさ”部門のNo.1は難しい。ほら、荻原浩の得意分野だからね。
『コール』と『しんちゃんの自転車』の二編から、どちらをNo.1にするのか悩み所です。
『コール』は、友人のお墓参りに来た男女の会話をメインにしつつ、叙述ミステリとしての味わいもプラスされたお得物件。
そして『しんちゃんの自転車』は、幼なじみの男の子がやって来て、自転車でオバケの出ると噂の池まで真夜中に行った時の思い出話。
「乗れよ。レッツ・ゴーゴー」
すぐには返事ができませんでした。先週の木曜日のことがあったからです。でも、しんちゃんがおたま池に行きたがっているのは、先週のことがあったからに違いないのです。とにかく意地っぱりだから。
いつもお茶らけて、ふざけてばかりのしんちゃん。自転車の後ろにいつも乗せてくれたしんちゃん。同意の言葉に迫力をもたせるために教えてくれた『がってんしょうたくん』の言葉。
先週の木曜日のあと、真夜中にも関わらずしんちゃんがやって来たのは『自転車、ちゃんと練習しろよ、俺、いつまでも乗っけてやれないぞ』と私に言うため。
私はじっとしんちゃんの着物のえきから這い出てきた蛆虫を見ていました。いつもなら悲鳴をあげてしまうところですが、蛆虫がしんちゃんのうなじを上り、耳の穴にはいりこもうとするまで眺め続けていました。
蛆虫を手でつまんで捨てたのは、あとにも先にも、この時だけです。
先週の木曜日に溺れて死んだしんちゃんと、一緒に溺れて死にかけた私とで、しんちゃんが死んだおたま池までツーリングデート。
蛆虫をつまんで捨てるシーンに切なさを感じてしまうなんて、反則だよなあ、荻原浩。