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平岩弓枝「女と味噌汁」

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舞台は昭和40年頃、東京・新宿に近い花柳界、弁天池。芸者のてまりこと千佳子には、なぜだか次々と、厄介なもめごとが降りかかる。浮気や嫁姑問題、後輩芸者の恋愛騒動…。料理の腕も活かしながら、千佳子はそれらを解決していく。一方で、自慢の味噌汁を売る夢も抱く。気丈に生きていく彼女だが、幸せな結婚にも憧れて…。現代にも通じる、女の生き様を颯爽と描いた平岩文学の傑作。
(「BOOK」データベースより)

平岩弓枝の小説には、私が知る限り内容は4パターンに分かれます。
 

ひとつは、海外のオッシャンティーな生活を描き、昭和半ばの主婦に夢と憧れを抱かせる類。
 

ふたつめは時代小説。「御宿かわせみ」が代表作ですね。
 

みっつめは琴や三味線などの芸事の世界と、それに付随した花柳界の日々を描いたもの。
 

よっつめは、下町のおきゃんなお嬢さんの日常を軽やかに描いた作品。
 

さて今回の「女と味噌汁」はどこに類するのかというと……3の“花柳界あれやこれや”にあたります。
もしくは特別に『古風な女礼賛キャンペーン』というジャンルを新たに作るべきか。はて。

「近頃の女の考げえてることといったら、美味えものを食いたいとか、楽をしてえってことだけさ。頭ン中は空っぽで、苦労とか我慢とかは、てんからするもんじゃねえときめてやがる。だから豚みてえにぶくぶく肥っちまうんじゃねえのかい。あげくの果てが美容体操だってんだろ—(中略)—なにが女だい。ただの雌じゃねえか。昔の女はそこんとこのけじめはちゃんとついてたね」

簡単に主人公、千佳子さんのご紹介をば。
新宿の置屋に籍を置く千佳子は、夜にはせっせとお座敷をかけながら、お座敷が引けた後はワゴン屋台で味噌汁定食を販売するダブルワーカーです。
 

ちょ、これ、体力的にかなりハードじゃありませんか?宴会終わりが夜10時~11時頃だとしても、置屋に戻って着物を脱いで支度して、ワゴン車のコンロで味噌汁作り始めても売り始めが終電の頃?
お客さん待って味噌汁出して、家に帰れるのは明け方あたりか。
朝になったら洗濯して掃除してその日の夜の仕込みして、芸妓のお稽古にも行かなきゃなんねえ。
なんとそのスキマを縫うように、お客さんと一晩かぎりのアバンチュールまでこなしちゃう。一体いつその時間を捻出したの?!
 

千佳子、すげーよ。アンタの奮闘っぷりに脱帽だよ。
 

「女と味噌汁」では、そんな千佳子さんの日々を描いている作品ですが、彼女のハードな日常よりも気になってしまうのが、小説全体にあふるる甚だしい昭和感です。
この小説が書かれた昭和40年代は、日本でもウーマンリブ旋風が吹き荒れ、自立した女がとか夫婦は対等だとかの声が高かった頃。旧態依然の昭和オッサン群はタジタジでした。
 

その時代に平岩弓枝さんはどうだったのかというと、彼女はウーマンリブとは対極のスタンスをとっています。
いや彼女自体が流行作家という『自立したオンナ』の好例である筈なんですけどね。
この傾向は「女と味噌汁」だけでなく平岩弓枝シリーズ全般にわたって言えることですが、特にこの作品では、彼女の信念が前面に押し出されているような気がいたします。

「妻だ、妻だって、えらそうにいうけれど、妻なんてなによ。ご亭主からしぼれるだけ金をしぼり取って、女であることを売り物にしてるんなら芸者とどこが違うのよ……。自分の亭主が他の女のアパートに泊まって、熱い味噌汁を食べて……こんなうまい味噌汁食ったことがないなんて言わせておいてさ……。あんた、恥ずかしくないの……。」

上記の台詞は、千佳子に寝取られた男の妻がアパートに乗り込んできて、不倫をなじる妻に言い返した暴言でやんすよ。
傍から見れば盗人猛々しいもいいトコだ、という気もしますがね。しかも千佳子、男から金もらってんで。

「……ごめんなさい、なにも奥さんの事皮肉ってるわけじゃないんだけどどこの家でもパン食みたいな簡単な食事するらしくって、男の人、みんな味噌汁やおいしいご飯に飢えてるって感じよ。だから、あたし、小さくてもいいからお店を持ちたいの、おいしい味噌汁とおいしい漬物と……丸干しの焼いたのや、きんぴらごぼうや……おばあさんが私に教えてくれたそういうお菜を作って、あったかい御飯がいつでも食べられるような……そんなお店を考えているの」

で、そういうタイプの女を昭和時代の男も好むようで。

「お袋が漬物好きだから、女房も漬物好きの女をなんてこと結婚の条件に入りますか、ナンセンスでしょう……しかし、実際にはそれがれっきとした別居の原因になっている。人間の感情は、法律では解決できませんよ」
—(中略)—
母が言ってましたよ、あなたみたいな人が娘だったらって……」

そして、千佳子に言われた女たちも、何故か自らを省みて反省しちゃうんだなこれが。

「口惜しいけど本当にそうかもしれない……長いことお勤めしてたから、お料理なんかするの、つい、ぞんざいになってね—(中略)—あたし、いけなかったわ、桐谷に浮気されても仕方がないわ」

「ヒステリイだったんですね……でも、この子が生まれてみて、自分が子供っぽいこと考えてたってことがわかりました。あの人にあやまろうと思ってますの……」

『自立自立って言いながら、妻の責務をオロソカにしちゃいけないと思うわっ!』という逆アジテート。
自身がご結婚されたばかりという環境下もあってか、新妻の気負いに満ち満ちています。
 

まあ、世間ではウーマンリブだなんだかんだ取り沙汰されてはいても、全ての女性が同じ考え方をしていた筈もないですからね。
旧来の“古風な女”を良しとする女性、特に年配層には「女と味噌汁」は『然り!』と膝を打つ、小気味良い小説であったのだろうなあと思います。
 

平成の今になって読んでみると、当時とはまた違う時代の流れがありますけどね。
専業主婦率が大半だった昭和40年代と、夫婦共働きが当然の平成。
 

時代の趨勢を考えれば、味噌汁を作る女の割合はさらに下がるということか。
いまだったら、平岩弓枝は「平成版・女と味噌汁」をどう書くんだろう。てか、ちょっと書いてみて欲しいなあ。
 

平成の今においても、千佳子の発言に『然り!』と頷く人は根強くいるとは思いますのよ。ねえどうでしょう、平岩センセエ?

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