世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたった一つの数式で示した―記憶力を失った天才数学者、と私、阪神タイガースファンの10歳の息子。せつなくて、知的な至高のラブ・ストーリー。著者最高傑作。
(「BOOK」データベースより)
『サインコサインタンジェントって何だっけ?』レベルの私には、この小説は脅威だ。
数学は敵だ。
対して、さくら旦那はもともと数学教師を志していたくらい、数式がお友達のバリ理系。
『サインコサインタンジェントとは何か』について、先日旦那が懇切丁寧にレクチャーしてくれましたが、すみません説明の一片たりとも私の記憶には留まっておりません。
“僕の記憶は80分しかもたない”博士の症例は私にも当てはまる…数学に関しては。
「博士の愛した数式」に出てくる『博士』は、交通事故による脳損傷のため、記憶が80分しか持続しない障害を抱えています。
主人公の『私』は、博士の世話をするために雇われた家政婦さん。
『ルート』は、私の息子。シングルマザーのひとりっこ、特徴はルート記号√のような絶壁頭。しかし考えてみると酷いアダ名だ。
ところで、80分しか記憶が持続しない記憶障害なんて、本当にあるの?と調べてみたところ、いくつかの症例が見つかりました。
障害のジャンル的には『短期記憶を長期記憶に移行できない外傷性の前向性健忘』というものに属するようです。インターネッツって便利でつね。
イギリスの指揮者だったクライブ・ウェアリングなるお方は、脳炎の後遺症でなんと7秒間しか記憶が持続できなくなったらしいです。NHK BSでもドキュメンタリーが放送されたことがあるようですよ。
7秒って。7秒ってどーよ。カップラーメンすら作れないんだよ。
博士に話を戻しましょう。
博士は、80分ごとに記憶が上書きされてしまうので、博士と私は毎日の出勤時が常に初対面のようなものです。少なくとも博士にとっては。
連続する日常での思い出が蓄積されていかない彼らの仲立ちをするのは、数字。数学。数式。
数の美しさと、数式の美しさ。数千年も遥か昔に生まれた数々の数式が、時を飛び越えて博士と私、私の息子のルートをつなぐコミュニケーションメディアになります。
「博士の愛した数式」に出てくる数と数式のキラキラした美しさというのは、いくらサインコサインタンジェントが解らないさくらちゃんにだって少しは解る。
ようは、私が文字に対する偏執的な愛情が、博士(と私とルート)にとっては数と数式に置換されたと考えれば良いんだよね。
さくらが「ひ」を、ヤクザになりきれない場末のチンピラみたいに見るように、彼らは「フェルマーの定理」に無秩序と気まぐれを見て。
さくらが「ら」を、情が薄いけど魅惑的な遊女みたいに見るように、彼らは「2311」の素数認定にするりと逃げる巧妙さを見て。
さくらが「の」の書き心地に耽溺するように、彼らは「28」の完全数に耽溺して。
さくらが「う」の、他のア行と違って濁点までも許容してくれる包容力に癒されるように、彼らは「オイラーの公式」の、全てが0に抱きとめられる一瞬から、暗闇に光る一筋の流星を見て。
うーん、どっちも変態☆
「ちびた鉛筆でメモを書いて、身体に貼っている時の博士を見ると、僕はいつも泣きたくなるんだ」
「どうして?」
「だって、淋しそうなんだもん」
「博士の愛した数式」で、本当に博士と心を通わせているのは『博士』と『ルート』です。
『私』は、正直狂言回しの役割しかありません。
博士がルートに向ける無条件な深い愛情、それに応じるルートの若干10歳にしての懐の深さ。
二人の交流はルートが22歳、数学教師になる直前、博士が死去する直前まで続きます。
世代差も障害も雇用関係も飛び越えて、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下りて、そっと手をつなぎ身を寄せ合いながら。私=1を待つオイラーの公式のように。
けれど今回は、かつて目にしたどの涙とも違っていた。いくら手を差し出しても、私が拭うことのできない場場所で、涙は流されていた。
「もしかして、博士がちゃんと手当てをしてくれなかったのを、怒ってるの?」
「違う」
ルートは私を見据え、泣いているとは思えない落ち着いた口調で言った。
「ママが博士を信用しなかったからだよ。博士に僕の世話は任せられないんじゃないかって、少しでも疑ったことが許せないんだ」
嗚呼、理系ダンスィ同士の強き絆よ!
理系ダンスィを配偶者としながらも、理系的な思想とは全く相容れない来し方を送ってきた私とて、博士に喜び楽しんで頂けるエピソードはないものかと脳裏の思い出箱をあさってみたところ。
「0を発見した人間は、偉大だと思わないかね」
博士。私、学生の頃数学のテストで0点を取ったことがあります。
しかも白紙解答ではなく、そこそこに記述した答えが全て間違いという、努力しても駄目なものは駄目系、押しも押されもせぬ0点。
「しかし0が驚異的なのは、記号や基準だけでなく、正真正銘の数である、という点なのだ。最小の自然数1より、1だけ小さい数、それが0だ。0が登場しても、計算規則の統一性は決して乱されない。それどころか、ますます矛盾のなさが強調され、秩序は強固になる。さあ、思い浮かべてごらん。梢に小鳥が一羽とまっている。澄んだ声でさえずる鳥だ。くちばしは愛らしく、羽根にはきれいな模様がある。思わず見惚れて、ふっと息をした瞬間、小鳥は飛び去る。もはや梢には影さえ残っていない。ただ枯葉が揺れているだけだ」
博士。0が偉大な数ならば、0点をとった私も偉大ですか。
梢の小鳥が飛び立つように、影さえ留めないサインコサインタンジェントは美しいですか。
教えてください80分の間に。0は脅威ですか、博士!