おじさまファンの人、集まれーっ!
野間省一のオトナの包容力に、再び包まれようぜ!
「角川文庫発刊に際して」と「講談社文庫刊行の辞」について、かつて当ブログで熱く語ったさくらちゃんです。
2つ続いたら、3つ、4つと続けたくなるのが人情ってもので。あれから結構真剣に、我が家の書棚で“発刊の辞”を探し続けておりました。
しかしながら、最近の文庫本にはねえ、無いんですよ発刊の辞。
「岩波文庫ならあるべ」と書棚をあさっても、最近の岩波、無いの!あの「読書子に寄す」が載ってないの!
どういうこと!?ページとインク代のコスト削減か!?それで魂売るか、岩波!?
ちなみに、どの本にも全く“発刊の辞”が無いのかというと、そんなことはありません。
図書館でいろいろ見てみたところ、新書系の場合は結構「刊行のことば」を載せているようです。PHP研究所とかね。あとはジュブナイル。青い鳥文庫とかね。
ただ、どうも私の心にヒットしない…やはり角川源義さんと野間省一さんの熱くソウルフルな名文に比べてしまうと見劣りがする…。
新書系とジュブナイルの場合、もうひとつマイナスポイントがございます。
「刊行のことば」を書いているのが誰なのか、署名がないので分からないのですよ。
もうこれは極私的な好みの問題になってしまいますが、私はっ!私はっ!(ドンドンドン)発刊の辞には代表者の署名を入れるべきだと思いますっ!(ドンドンドン←机を叩く音)
ひとつのシリーズ(文庫等)を立ち上げるに当たって目指す理念とか、目的とか、メッセージ。熱情。
「○○社」という法人格ではなくて、熱を持った人間が、旗を揚げて欲しいのですよ。
——前置きが長くなりました。
で、こないだ図書館で見つけた『講談社学術文庫』
いつもの調子で巻末ページをめくったら…なんと発刊の辞が!しかも署名入り!しかも野間省一さん!
久しぶり、おじさま~!!!
これは、学術をポケットに入れることをモットーとして生まれた文庫である。学術は少年の心を養い、成年の心を満たす。その学術がポケットにはいる形で、万人のものになることは、生涯教育をうたう現代の理想である。
こうした考え方は、学術を巨大な城のように見る世間の常識に反するかもしれない。また、一部の人たちからは、学術の権威をおとすものと非難されるかもしれない。しかし、それはいずれも学術の新しい在り方を解しないものといわざるをえない。
学術は、まず魔術への挑戦から始まった。やがて、いわゆる常識をつぎつぎに改めていった。学術の権威は、幾百年、幾千年にわたる、苦しい戦いの成果である。こうしてきずきあげられた城が、一見して近づきがたいものにうつるのは、そのためである。しかし、学術の権威を、その形の上だけで判断してはならない。その生成のあとをかえりみれば、その根は常に人々の生活の中にあった。学術が大きな力たりうるのはそのためであって、生活をはなれた学術は、どこにもない。
開かれた社会といわれる現代にとって、これはまったく自明である。生活と学術の間に、もし距離があるとすれば、何をおいてもこれを埋めねばならない。もしこの距離が形の上での迷信からきているとすれば、その迷信をうち破らねばならぬ。
学術文庫は、内外の迷信を打破し、学術のために新しい天地をひらく意図をもって生まれた。文庫と言う小さい形と、学術という壮大な城とが、完全に両立するためには、なおいくらかの時を必要とするであろう。しかし、学術をポケットにした社会が、人間の生活にとってより豊かな社会であることは、たしかである。そうした社会の実現のために、文庫の世界に新しいジャンルを加えることができれば幸いである。一九七六年六月
野間省一
オ・ト・ナ…。
「講談社文庫刊行の辞」の刊行年1971年には脳溢血で倒れた野間さんでしたが、その後もご壮健なにより。この講談社学術文庫立ち上げの1976年は大丈夫だったのかしら。
ちなみに1976年(昭和51年)はロッキード事件の年ね。『記憶にございません』が流行語になりました。
あとは映画『JAWS』と『犬神家の一族』がヒットして、日清やきそばUFOが新発売になった年。うわあ、何だかびっくりしちゃうね。
講談社文庫の刊行時には60歳だった野間省一さんも、この学術文庫刊行時には66歳。この6年で何があったのかは分かりませんが、何故だか野間さん、ちょっとだけ文体が変わっている。
比較のために、おさらいとしてまずは「講談社文庫刊行の辞」を再チェックしてみましょう。
…ね?こうして比較してみると、なんだか読点がすごく多くありませんか?
『学術をポケットにした社会が、人間の生活にとってより豊かな社会であることは、たしかである。』
『生活と学術の間に、もし距離があるとすれば、何をおいてもこれを埋めねばならない。』
『文庫と言う小さい形と、学術という壮大な城とが、完全に両立するためには、なおいくらかの時を必要とするであろう。』
これ多分、1971年だったら、以下のように綴ったことでしょう。
『学術をポケットにした社会が人間の生活にとってより豊かな社会であることはたしかである。』
『生活と学術の間にもし距離があるとすれば、何をおいてもこれを埋めねばならない。』
『文庫という小さい形と学術という壮大な城とが完全に両立するためには、なおいくらかの時を必要とするであろう。』
別に変わらない?そうですか。
読点の多用によってHさん曰く『平易ながら名文』調子が、さらに平易になって読みやすくなったというか。6年たって、オトナの野間さんがさらに丸くなったということなのかしら?
とはいえ、野間さんの熱き血潮は、6年経っても変わりなく。
オトナの包容力と、若き心の情熱を持って、新たな文庫シリーズ発刊の旗を掲げるのです。
ああ、いいなあ。
やっぱり発刊の辞は、つけるべきだと思うのよ。
そして発刊の辞には、署名を入れるべきだと思うのよ。
全国のダンディ野間ファンの女子たちも、そうお思いになるでしょう?