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宮下洋一「安楽死を遂げた日本人」

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理想の死を求めてスイスに渡った日本人に密着した、圧巻のルポルタージュ。講談社ノンフィクション賞受賞作、待望の続編!
(「BOOK」データベースより)

夕陽に向かう女性

前回の記事で採りあげた「わたしの天国でまた会いましょうね」1994年日本出版時から今年で25年。

前記事の日本尊厳死協会引用文にもあるとおり、2019年現在の日本では「尊厳死は合法、安楽死は違法」となっております。

対して海外ではどうなのかと言いますと、オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・スイス・カナダ・アメリカ・オーストラリア・コロンビアでは安楽死が認められています(カナダとアメリカとオーストラリアは一部の州のみ)

ほとんどの国では自国民だけを対象にしていますが、スイスの2つの団体「ディグニタス」「ライフサークル」だけは外国人も安楽死希望者を受け入れているそうです。

へーっ!という感想ですが、その「へー」の意味は、安楽死を認める国が結構たくさんあるんだ、という意味か、案外少ないんだ、という意味か、外国人を受け入れている団体もあるんだ、の意味か、そもそも自国民か外国人かで扱いが違うんだ、の意味かはお好きなように。実は私にもわからない。

さてスイスの自殺(安楽死)幇助団体ライフサークルでは、安楽死ができる要件を以下のように定めているそうです。

  1. 耐え難い苦痛がある
  2. 回復の見込みがない
  3. 代替治療がない
  4. 本人の明確な意思がある

で、上記4要件に当てはまる人、というか当てはまるとライフサークルに認定されて安楽死を遂げた日本人女性がいます。小島ミナさん享年51歳。

「死にたくても死ねない私にとって、安楽死は“お守り”のようなものです。安楽死は私に残された最後の希望の光です」

多系統萎縮症という、進行するにつれて身体の自由が利かなくなっていく神経難病。将来的には歩けず、しゃべれず、食べられず…胃ろうと人工呼吸器が予定されている病気です。ALSと似ているのかしら…違いはよくわからないけど…。

多系統萎縮症もALSも、意識は明瞭で知能・認知能力に問題はありません。視覚聴覚等々も正常で、ただ単に体が動かせないだけ。

辛い辛い病気であろうことは間違いありません。
そしてこれらの病気の場合、病気が進行すると、例え死にたいと思っても自分では死ねない。

真っ先に聞きたいことがあった。
「3月に予定されていた自殺幇助が、11月28日に早まったわけですが、3月まで待つことはできなかったのですか」
下半身だけ布団を被せ、ベッドの後ろの壁に寄りかかった状態の小島が、「う~ん、あのね」と呟き、長年、悩み続けてきた死について、ゆっくりと語り出した。—(中略)—「もし安楽死が可能であれば、たとえば、私が喋れなくなり、全身が動かなくなり、寝たきりで天井だけ見るようになった時には、ちょっと頼むと言えますよ。でも、現状、日本ではそれができないんです」
—(中略)—
彼女自身、死期はまだ早いかもしれないと感じていた。飛行機にも車椅子があれば乗れるし、固形物も食べることができる。末期患者と違い、精神的な苦痛さえ取り除ければ、これから先も生きることは可能であるはずなのだ。しかし、彼女は力を込めてこう言った。
「時すでに遅しが一番怖いんです」

この本を読んで初めて知ったのですが、今年2019年6月にはNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」で小島ミナさんの最期が密着ドキュメンタリー番組にもなっていたらしい。「安楽死を遂げた日本人」の中でもNHK取材とのからみが登場してきます。

あ、えーとそもそもこの本は「安楽死を遂げるまで」という書籍の続編らしいので、前作とのからみもよく登場してきます。というか、先に「安楽死を遂げるまで」から読むべきだったと読んでから知る。

「時すでに遅しが一番怖いんです」と小島ミナさんも言ってはいたけれど…。

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「安楽死を遂げた日本人」には小島ミナさんだけじゃなくって、他の方々も登場してきます。

小島さんのご家族もそうですが、スイスの自殺幇助団体ライフサークル代表のエリカ医師、もうひとつの自殺幇助団体ディグニタスに登録しているガン患者の吉田さん、今後の安楽死を希望しているカメラマンの幡野広志さん、そして安楽死をビジネス化しようともくろむ若き日本人女性、臼井貴紀さん。

実はこの本の中で、彼女のエピソードが一番「日本人の死生観も変わったもんだなぁ!」と、四半世紀の隔世の感を覚えたところでした。

宮下洋一さんがスイスで出会った臼井さん、安楽死を希望する日本人とスイスの自殺幇助団体とを、アプリ「おくりびと」を使って仲立ちをするビジネスをしたいと。

1994年には尊厳死という言葉すら一般的ではなかったのが、2019年にはアプリで安楽死しようとする時代になろうとは…皮肉でもなんでもなく、すごい時代の変化だなあと思います。

ちなみに後日エピソードとして書かれているとおり、臼井さんはビジネススタイルを模索した結果、安楽死アプリ「おくりびと」は一旦とりやめにしてます。今の日本じゃ自殺ほう助罪にあたりますしねー。

だからApp Store探しても見つかりませんよー。探さないでねー。

「日本人は死について考えるのを避けている。だから死よりも前のタイミングで対象者にリーチしたいと考えているんです」

日本人は死について考えるのを避けている。でも、25年後はどうだろう?

「わたしの天国でまた会いましょうね」から「安楽死を遂げた日本人」の間の25年で、日本人の死生観は明らかに変わった。だとしたら、この先の25年で、さらに変わるかもしれない。

25年後には私はどうなっているだろう。今よりももっと“死”に近づいている中で(いや死んでるかもしれないけど)私をとりまく“死”はどんなもんなんだろう。

臼井さんのような若いお嬢さんが、これまでの死生観を変えてくれるかもしれない。そうじゃなくてその時に“死”に近しい存在にいる私の世代が、変えるのかもしれない。

変えたいか変えたくないかは別として、これまで避けていて俎上にものっかっていなかった議題について考えるって、進化よね。少なくとも進歩よね。

なんだかね、この本を読んですっごくワクワクしたんですよ。不謹慎な感想かもしれませんが、著者 宮下さんの意図にも反した感想かもしれませんが、なんだかね、ワクワクしちゃったんですよ。

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