川田幸代。29歳。会社員。腐女子。社の秘められた過去に挑む―。本間課長は言った。「社史編纂室でも、同人誌を作ろう!」その真意はいかに?風雲急を告げる社史編纂室。恋の行方と友情の行方は、五里霧中。さらには、コミケで人気の幸代の小説も、混乱に混乱を!?これでいいのか?わたしの人生。
(「BOOK」データベースより)
我が家に置いていたこの本の表紙を見て、娘が一言。
「ひらがなが“しをん”しか無いじゃん」
確かに。ああいや、それだけの話なんですけどね。
さて、漢字が多い「星間商事株式会社社史編纂室」舞台は中規模の総合商社、星間商事株式会社です。
1946年創業のこの会社。1996年には五十周年となったものの、当時はバブルがはじけたばかりで社史を作るどころではなく。
バブル崩壊の傷も癒えた10年後の2006年、創業六十周年にあわせて社史を作ろうと編纂室が誕生したのが2003年。
のんびりしていたのかヤル気がなかったのか、創業六十周年の式典には間に合わず。
そして、この小説の時代2007年の時点で、未だ手付かず。
そんなゆっる~い社史編纂室に飛ばされてくるのは、いずれも社内で何がしかの問題を起こした「リストラの崖っぷち」
主人公の幸代さんも然り。
幸代さん、元々は花形部署の企画部に所属。大型ショッピングセンター立ち上げプロジェクトにも参画して成功を収め、その手腕を買われてもっと大きなプロジェクトへの誘いがあったものの、趣味の時間がとられるのが惜しくて辞退。
結果、社史編纂室に左遷。
出世を蹴って閉職に飛ばされてまでやりたかった、その趣味ってなーに?
「川田くん」
と、本間課長は厳かに口を開いた。「きみ、腐女子というやつだな」
全員の視線が、今度は幸代に集まった。大昔のギャグのように盥が落ちてきた気がしたが、幸代は必死に表情を取りつくろった。
「やだ課長、急になにを」
“腐女子”というのは…ううん、まあ、目の前の箱でググってみてくださいよ。“腐女子”以外なら“BL”でも可。
でもGoogle画像検索にしちゃ駄目よ。それが、あなたの為よ。
友人二人と趣味の同人誌を作るのに忙しく、仕事なんてやってる暇はないっちゅーことですね。
ふとしたことから社史編纂室の課長にそれが露呈し、叱責されるか馬鹿にされるかと思いきや。
本間課長はなぜかノリノリ。自分も昔は小説を書いていたんだと、青春時代の回顧がはじまります。
そして、過ぎし日を思うより情熱は今!とばかりに、星間商事株式会社社史編纂室の面々で、同人誌を作ってコミケで発売しよう!と言い出しました。
もちろん同人誌製作とコミケ出店の手筈は「継続中腐女子」である幸代さんが担当。
仕事が、増える。
夏に引き続き、冬コミの新刊まで本間課長に読まれてしまうとは。こんな屈辱と羞恥プレイがあるだろうか。
ページをめくる課長の手が、ラストの濡れ場に差しかかりそうなのを見て取り、幸代は急いで西ホールへ逃げだした。
何かとお忙しい幸代さん、最近では私事でも悩みが多うございます。
同棲している恋人の洋平は、世界を旅するのが好きな放浪アドベンチャー男。
30歳も直前になると、ちょっと色々考えてしまうんですよ。将来のこととかね。結婚のこととかね。
同人誌仲間の友人でも、ひとりは既に子持ちの主婦。そしてもうひとりは、長年付き合っている彼氏と結婚間近。
ただしその友人・実咲の彼氏は、実咲がホモ同人誌を作っているなんて知る由もないので、実咲は結婚と同時に同人誌から抜けると宣言。
仕事に恋に友情に、と、案外結構盛り沢山な「星間商事株式会社社史編纂室」
当然、仕事関係でも盛り沢山です。ゆるゆるの暇な社史編纂室ではあっても、それなりにお仕事は皆さんしておりますし。
社史を編むに際しては、昔の社員や役員にも話を聞き、星間商事の来歴をきっちり綴ろうと取材を重ねているのですが。
取材をする中で、ある一時期のことだけが空白になっていました。
高度成長期の1950代後半。星間商事が海外進出に乗り出した頃。
当時の社員に取材をしても、総じて言葉を濁す時期。
いったいこの頃に、何があったというんだ?
「営業部では、伝説みたいに語り継がれてるんです。星間の今があるのは、高度経済成長期に営業がすごく活躍したからだ、って。だからおまえたちも、強引なぐらいの手を使わなくちゃだめなんだぞ、って」
高度成長期の空白地帯を埋めようと、幸代たちが色々と聞きまわっているうちに、社史編纂室に届けられたハガキが一枚。
黒々と墨痕鮮やかに筆文字でしたためられたハガキには、ただ一言。
これ以上、嗅ぎまわるのはやめておけ
えーと、あのすいません、社史ってそんなに、ハードボイルドでしたっけ?
ハードボイルドになる間もなく、星間商事の「サリメニの秘密」は早い時点で判明します。
「サリメニの女神さま」とお会いすることも。
あっそうだ。
「星間商事株式会社社史編纂室」を読んで『サリメニ共和国って実在するの?』と調べようと思った人へ言っときます。
サリメニ共和国は実在しません。
私自身が、検索して調べちゃったので、間違いない。
たった一人で異国に送り込まれた、若い女性。利益を求めて国や企業が狂奔する、その渦に投じられた彼女の胸のうちには、いったいどんな物語が宿っていたのだろう。
それを読みたい、と幸代は思った。
さびしく美しく輝く、サリメニの夜空に浮かぶ星に似た物語を。
「サリメニの秘密」は何なのか、とか。
一人メンツが欠けたホモ同人誌はできるのか、とか。
もうひとつ、社史編纂室の同人誌はできるのか、とか。
ハガキの脅迫状はなんなのか、とか。
旅立ってしまった恋人は帰ってくるのか、とか。
リストラ崖っぷちは踏み止まれるのか、とか。
社史は完成するのか、とか。
女30歳手前にもなると、色々と思い煩うことが多いものでして。
これでいいのか?わたしの人生。
いいのかどうかは分からないけど、まあ仕方がないよなあ、こうなっちゃったんだから。
おそらくはフォーエバー“腐女子”の幸代さんの、恋しさとせつなさと心強さとby篠原涼子、な、小説です。