フランスの前衛的な文学賞「ドゥー・マゴ賞」を受賞した本作品は、古くてしかも新しい、人間性の奥底にひそむ非合理な衝動をえぐり出した、真に恐るべき恋愛小説の傑作である。女主人公Oは恋人ルネに導かれて、自由を放棄し、男たちに強いられた屈従と涙と拷問のさなかで訓練を積み、奴隷の境遇を受け入れ、ついには晴れやかな精神状態に達するという、それはある女の情熱的な魂の告白であり、フランス伝統文学をうけつぎながら、さらに新しい文学を目ざした真の名作と言って過言ではあるまい。
(Amazon 富士見ロマン文庫版「O嬢の物語」内容紹介より)
「O嬢の物語」の話をする前に、富士見ロマン文庫という文庫レーベルの話をしましょう。
富士見ロマン文庫というのは、1970~1990年代に富士見書房が発行していた海外古典ポルノの文庫レーベル。すでに廃刊となっております。
ポルノと聞いて「えー」と言うなかれよキミキミ。金子國義とか池田満寿夫とかがゴス調の表紙絵を描いて、澁澤龍彦とかが翻訳してるんだぜ?すっごく“あの時代”を感じませんか?
発刊されたポルノグラフィー作品も、結構オツなラインナップが揃っています。
有名どころでは「チャタレイ夫人の恋人」「カリギュラ」あたりをご存知の方も多いのでは。
漫画「ベルサイユのばら」を読んだことがある人は、「肉体の扉」を書いたミラボー伯を知っている筈。マリーアントワネットの裁判に出てくるおっさんよ!
「悪徳の栄え」は、“サド”の名称の由来でもあるマルキ・ド・サドが書いた本。ちなみにサド侯爵は、オスカルが攻め落としたバステューユ牢獄に収容されていました。おお、こちらもベルばらつながり!
そしてそして、マゾヒズム文学の代表格の一冊が、この「O嬢の物語」であります。
果たしてマゾヒズム文学なるジャンルが存在するのか否か、まずはそこから考えねばな。
O嬢の物語には第ニの結末がある。
つまりステファン卿に捨てられようとしている自分を見て、彼女はむしろ死ぬことを選んだ。
ステファン卿もこれに同意した。
ポルノグラフィーの体をとってはいますが、正直、この小説を読んで性的に興奮する人は少なかろうと思われます。
特殊性癖を扱っているから、という理由じゃなくてね。
昔の小説だから性描写が婉曲、という理由でもない。
ストーリーとしては、主人公「O」が恋人にSM趣味の会合場所まで導かれ、そのお屋敷であれやこれやあらまあ大変なプレイを楽しみ、Oの恋人はOを知人のステファン卿に譲渡し、Oはステファン卿からさらにあれやこれやあらまあ大変なことをされ、最終的にはOがステファン卿に棄てられる話です。
で、Oがステファン卿に棄てられておしまい、のラストとは別の結末は、上記にて引用した通り。
恋人ルネも、ステファン卿も、やってることは結構すっげーんだけど、全く以って楽しそうではない。
そしてOも、全く以って楽しそうではない。だけど何故か、一切の抵抗も、逡巡もしない。
ロボットが作り手に命令されて、従う姿を見て性的に興奮できる?
上記アマゾンのリンクは、富士見ロマン文庫ではなく河出文庫のリンクです。いやこっちの表紙絵もすごいね。
「O嬢の物語」の真髄は、フツーの趣味性癖を持った人間にはもしかしたら分からないのかもしれない。
なので、フツーの趣味性癖を持っている私は「O嬢の物語」の探求を諦めて、富士見ロマン文庫の話に戻りましょう。
私が高校生の時に日参していた浅草ROX(というファッションビル)の書店の一画には、富士見ロマン文庫がズラリと総揃えされておりまして。
桃色高校生だった私は、行っては買い、行っては買いと、富士見ロマン文庫のブースを右から左へ攻め倒すように購入していた記憶があります。
ポルノ小説を買いまくる女子高生ってのもどうかと思うけどね、あそこまでラインナップを揃えてた当時の浅草ROX書店もどうかと思うよ。店長の趣味か?!
近隣にお住まいの方がいらっしゃいましたら、もしくは、浅草観光にお出ましの方がいらっしゃいましたら。
是非、浅草ROXまでお立ち寄りの上、今現在の店長の趣味性癖をその目でお確かめ頂ければ幸いでございます。
富士見ロマン文庫自体は廃刊してるから、もう書店に陳列はされていないとは思いますが、きっときっと、当時の店長の魂が今でも継承されている筈。
他書店ではちょっとありえないような変わり種の本を見つけたら、それはきっと、店長の趣味。