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東野圭吾「手紙」

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強盗殺人の罪で服役中の兄、剛志。弟・直貴のもとには、獄中から月に一度、手紙が届く…。しかし、進学、恋愛、就職と、直貴が幸せをつかもうとするたびに、「強盗殺人犯の弟」という運命が立ちはだかる苛酷な現実。人の絆とは何か。いつか罪は償えるのだろうか。犯罪加害者の家族を真正面から描き切り、感動を呼んだ不朽の名作。
(「BOOK」データベースより)

ここのとこ最近ほんのむし では、犯罪暦のある女性二人を描いた乃南アサの“芭子&綾香シリーズ”を取り上げました。
“芭子&綾香シリーズ”の二人とも、強盗もしくは殺人の罪で逮捕された後は、親類縁者から縁を切られて寄る辺ない身の上です。
 

縁を切るとはよく言いますが。
実際のところ現代日本では、家族が前科者になったとしても法的に縁を切ることはできないらしいです。戸籍の抹消とか。
つまり家族が犯罪者になった時には“加害者家族”のレッテルがずっとついてまわる。それって実際、どんな生活に変わってしまうんだろう?
 

「手紙」は、実の兄が強盗殺人を犯したために、人生を大きく変えられた若者の話です。

この小説は毎日新聞の日曜版(という別刷り)に週刊連載されていて、毎日ユーザーの私はリアルタイムで連載を読んでいたのですが。
毎週の連載小説を読む度に、当時は毎週ブルーサンデーでした。日曜日の朝っぱらから重ーい。おもーいよう。
直貴がずっと、両頬を平手で打たれるような日が続くのです。

「だって兄貴が殺人犯だもん、しょうがねえよ」
「何だって?」店長がそちらに顔を向けた。直貴は目を閉じたくなった。
「強盗殺人で、どっかの婆さん刺し殺しちゃったんだもん。その弟が平気な顔して大学に行ってたら、そっちのほうがおかしいんじゃないの」

両親ともに没し、兄の剛志が働いて生活の糧を得ていた二人。剛志が腰を痛めて仕事ができなくなりました。
弟の進学費用を得るために金を盗もうとした剛志でしたが、その結果、結局進学を諦めざるを得なくなった直貴。
住む場所も失い、ひとりで生活していかなくてはならなくなりました。
 

その後の直貴の苦労というのは、おそらくはまあ、皆さんが想像し得る通りです。 
ストーリーを想像できない人は、自分の身に置き換えてみれば良い。
 

もし、強盗殺人犯の身内が同級生だったら、あなたはどうする?
もし、強盗殺人犯の身内が隣に住んでいたら、普通に近所付き合いができる自信がある?
もし、強盗殺人犯の身内が同僚だったら、会社帰りに気軽に飲みに行ける?
もし、強盗殺人犯の身内が娘の彼氏だったら、娘の結婚に賛成できる?

上記の質問が私自身に問いかけられたものだとしたら、正直言って「Yes」とは答えられません、私。
その本人が何も悪い訳じゃないのは重々承知していながらも、本能的に忌避してしまうものがある。

「大抵の人間は、犯罪からは遠いところに身を置いておきたいものだ。犯罪者、特に強盗殺人などという凶悪犯罪を犯した人間とは、間接的にせよ関わり合いにはなりたくないものだ。ちょっとした関係から、おかしなことに巻き込まれないともかぎらないからね。犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。自己防衛本能とでもいえばいいのかな」

そんな生活の中でも、直貴は通信制大学の受講から、水商売で貯めたお金で通学過程に転籍し、底辺ブルーワーカーの生活からまっとうな会社に就職を果たします。
(ちなみに直貴が通った帝都大学は、かのガリレオ先生の居る大学だよ~)
しかしその努力も、兄の素性が露見して、クビにはならずとも左遷に。
 

音楽の才能を生かし、所属するバンドでプロデビューの道が開けそうになるも、兄の影響でバンド脱退。

恋人が出来ても、彼女の親の反応と要望は「椿姫」のごとし。

結婚して子供が産まれても、娘の公園デビューすらままならない。

「あれからやっぱり、いろいろとあったんだな」
「『イマジン』だよ」
直貴の言葉に、えっと寺尾は目を丸くした。
「差別や偏見のない世界。そんなものは想像の産物でしかない。人間というのは、そういうものとも付き合っていかなきゃならない生き物なんだ」寺尾の目を見据え、自分でも驚くほどの落ち着いた声で直貴は語っていた。目をそらせたのは寺尾のほうだった。

直貴の勤める会社の社長の台詞にある『犯罪は社会的な自殺』という言葉は、全くもって正しいと言わざるを得ません。
 

さて、小説のタイトルの「手紙」の意味とは。
この小説の中にはいくつかの“手紙”が登場します。兄が刑務所から直貴に送ってくる手紙。直貴が兄に送る手紙。
それ以外にも、誰かが誰かに宛てて送る手紙も含めて。
 

ではタイトルの「手紙」は、いつ、誰が、誰に送った手紙なのか。
何を書いた手紙なのか。
 

その答えは小説には書かれていませんが「手紙」を読み終えた後に、それを自分の中で考えてみるのも宜しいかと。
直貴の人生と、剛志の人生と、彼らの選択。
「手紙」にはそれが書かれています。

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