ジョン・スミスは人気者の高校教師だった。恋人のセーラとカーニバルの見物に出かけたジョンは、屋台の賭で500ドルも儲けた。なぜか,彼には当りの目が見えたのだ。愛を確認し合ったその夜、ジョンは交通事故に遭い、4年半の昏睡状態に陥った。誰も彼が意識をとり戻すとは思わなかったが、彼は奇跡の回復を遂げた。そして予知能力も身につけた。そして―、彼の悲劇が始まった。
(「BOOK」データベースより)
アメリカ大統領選挙のニュースでドナルド・トランプの姿を見る度に、「デッド・ゾーン」のグレグ・スティルソンを連想するのは、私だけじゃないと思う。
ですが「デッド・ゾーン」の主人公はグレグ・スティルソンではありません。主人公の名前はジョン・スミス。日本で言うなら山田太郎みたいな没個性極まりない名前の男性です。
そういえばアシモフ「黒後家蜘蛛の会」にもジョン・スミスという人物が出てきました。あまりにも平々凡々な名前すぎて偽名じゃないかと疑われた男。
世界のジョン・スミスにアドバイス。旅先でスパイ容疑をかけられないためにも、パンツには自分の名前を書いておくように。
「黒後家蜘蛛の会」のジョン・スミスも不運な男ではありましたが、「デッド・ゾーン」のジョン・スミスまでには不運じゃありません。
「デッド・ゾーン」のジョンは恋人と上手くいきそうになった矢先に交通事故に合い、4年半も意識が戻らない昏睡状態に陥ります。
4年半の間に恋人は他の男と結婚するわ、母親は神頼みの末おかしくなっちゃうわ、目覚めてみたら無職で借金まみれで、しかも余計な超能力までついちゃった。
こっちのジョン・スミスに比べれば、スパイ容疑なんて、屁でもない。
ジョンが得た超能力。それは、人物や対象物に触れるだけで、その来し方と行く末を知ることができる能力。
これ、ジョンの人生を華やかに彩ったり致しません。むしろ邪魔。全くいらない。
昏睡から目覚めた後の回復期に行った予言がテレビや新聞に興味本位に取り上げられたせいで、ジョンの自宅はエセ宗教家とアングラ雑誌記者と、イタズラや嫌がらせの野次馬と、悩みを抱えて暗い目をした『ちょっと通りかかった』数多の人達。
ペテン師よばわりされても甘んじて、静かに暮らせれば願えども、それも許されず。
「あの人に打撃を与えるつもりはなかったんだ。本当だ、ぜんぜんそんなつもりはなかったんだよ。ぼくにはわからなかった……」
テレビ・リポーターは一歩後ずさった。「そうそう。もちろんきみにはそんなつもりはなかったんだ。奴さんが好んで求めたことなんだし、それはだれもみんな認めているよ。ただ……わたしにさわらないでくれ、な?」
彼に与えられた“まがいものの神”の立場は、彼を孤独にし、普通の生活を送る阻害要因にしかなりません。
素性を隠して家庭教師の仕事をするジョン・スミスの耳に、やがて、ある新進政治家の噂が舞い込みます。
成功した富豪の実業家にして、型破りな現リッジウェイ町長、そして次期の下院議員の立候補者、グレグ・スティルソン。
「あくまでも仮定の話ですが、タイム・マシーンに乗って一九三二年に戻ることができたとしましょう。一九三二年のドイツに。そして、ヒトラーに偶然出会ったとします。あなたは彼を殺しますか、それとも生かしておきますか?」
演説会でグレグ・スティルソンと握手をかわしたジョン・スミスは、手押し車をひいて工事用ヘルメットを被って有権者にアピールする『ジョークで立候補した泡沫候補』のスティルソンの、心中に潜む凶暴な虎の存在を知ります。
そして、彼がこの先アメリカ大統領にまで上り詰めた後に待っている、虎の手に堕ちたアメリカの未来までも。
ペテン師名高い“まがいものの神”のジョン・スミスには、その危険を他に知らせる術がありません。
まだ起きていない事実をいくら話しても、誰もそれを信じることはできない。
「ああ、予言は正しかったのか」と信じるのは、いつもそれが起こった後から。
でも“それ”が起こったら、核戦争がもし始まったら、後追いの信頼に何の意味がある?
上記の引用は、ジョン・スミスが幾人かの知人に、スティルソンの名前を出さずにした仮定の質問です。
「私なら殺さんね。ナチスに入党して、内部から改革を試みる」と答えた人も。
「連中はぼくを逮捕するだろうか?」と質問した人も。
「もしやらなかったら、やがて彼に殺される何百万もの人々に、墓の中までつきまとわれそうだ」とあっさり言った人も。
息子をナチスに殺されたヘクター・マークストーンはこう答えました。
ジョニーは抜身の刃を、その研ぎ澄まされた刃先に映る光の戯れに魅入られ、目を釘づけにされて、まじろぎもせずに見ていた。
「これが見えるか?」マークストーンが静かな声でたずねた。
「ええ」と、ジョニーはささやくように言った。
「これを、奴の黒い嘘つきの心臓に突き立ててやる、わしならそうする。これを突っ込めるだけ深く突っ込み……それからぐりぐりえぐってやる」手のなかでナイフをまず時計回りに、それから逆回りにくるりくるりとやった。老人は赤ん坊のように滑らかな歯茎と、一本だけ残った黄色い反っ歯を見せて笑った。
「けど、その前に、猫いらずを刃に塗っておくよ」
ラストのネタバレするようで恐縮(いまさら)ですが、ジョン・スミスは結局、トランプスティルソンの暗殺を企てます。
暗殺自体は失敗するものの、スティルソンを『野犬捕獲員選挙でも絶対あの男に投票しない』状態にさせることには成功。
しかし、その場でジョン・スミスは死去します。
彼の頭頂葉に大きく発達した脳腫瘍が、彼を押しつぶしたのが原因で。
ジョン・スミスの超能力は、脳腫瘍の影響だったのか?
それとも超能力が、腫瘍を作り出し、育てていったのか?
そもそも超能力なんてものは存在せず、すべて腫瘍が見せた妄想だったのか?
…という議論は、ジョン・スミス死亡後のスティルソン調査委員会で語られた話。
でも、それはもう蛇足みたいなもんですね。調査会も結論が出ぬまま「デッド・ゾーン」は終わります。
問 ありがとう、ドクター。
答 もう一言、いいですか?
問 どうぞ。
答 もし彼が実際にそういう呪いをかけられていたとするなら——そうですとも、わたしに言わせればあれは呪いですよ——願わくば神があの男の苦しめる魂に慈悲を垂れ給えんことを。
「デッド・ゾーン」は切なくって、ある意味感動的で、何と言っても間違いなく面白い小説ではあるのですが。
最近のニュースでドナルド・トランプの姿を見る度に、この小説を連想するのは、私だけじゃないと思う。
ドナルド・トランプがアメリカ大統領になるのって、本当にあり得る未来ですか?トランプとスティルソンを同一視してしまう私は間違ってますか?
トランプの心中に潜む虎は、居ないと信じて良いですか?
「あくまでも仮定の話ですが、タイム・マシーンに乗って一九三二年に戻ることができたとしましょう。一九三二年のドイツに。そして、ヒトラーに偶然出会ったとします。あなたは彼を殺しますか、それとも生かしておきますか?」
この質問に、あなたは何て答えます?