かつて一世を風靡した作家・村尾菊治は、旅先で女性編集者から彼の大ファンという人妻・入江冬香を紹介される。そのしなやかな容姿と控えめな性格に魅了された菊治。二人は狂おしく逢瀬を重ね、惹かれ合うが、貪欲に性愛の頂きへ昇りつめる冬香に、菊治は次第に不安を覚える。男女のエロスの深淵に肉薄し話題騒然となった問題作。
(「BOOK」データベースより)
「失楽園」で世のサラリーマン諸氏の通勤電車をパラダイスにした渡辺淳一が、もう一発ドカンとでっかい花火をブチ上げた「愛の流刑地」略して愛ルケ。
日経新聞の連載時からトンデモ小説として名高かった愛ルケですが、おかげ様で連載時の日経購読者数は倍増したとかしないとか。
売れれば勝ちってことですか、日本経済新聞社さん?!
「失楽園」ではまだほのかにあった恋情ですが、愛ルケではそんな邪魔な要素はハナから取っ払っちまって、セックス、セックス、ただひたすらにセックスです。大体小説の主題そのものが「男女のエロスとは何ぞや?」いや、そんなこと問われたって困りますよ渡辺センセイ。そんな話は銀座の文壇バーか祇園の料亭で思う存分語ってくださいな。
出逢ったそうそうから猿並みにヤりまくる菊治と冬香。となれば、やってみようか再びデータ検証。
「失楽園」と同様に、ハードカバー上下巻の全716ページのうち、主人公の二人が何回性行為を行っているのか、及びそのページ数をカウントしてみました。
いざいざ“失楽園 vs 愛ルケ”! 検証結果は以下の通り。
性行為を行った回数・・・・23回(上巻16回、下巻7回)
性行為の描写ページ数・・・合計122ページ
パーセンテージとしては17%。「失楽園」よりも総ページに比べて性交回数は少ないですね。ページ数は多いけど。
でも、上巻と下巻で大きく数値に違いがあることにお気づきでしょうか。下巻のおよそ三分の一あたりで、片割れの冬香が死んでしまうので、それ以降は実際の性交は行えなくなってしまうのが大きな要因です。
さすがに猿並みの菊治と言えども、屍姦までしたら鬼畜ですからねえ。しそうだけど。
冬香が死亡した原因は、菊治が性交中に首を絞めたから。
でも、菊治には別に殺意があった訳ではありませんでした。
「ねぇ、首を絞めて……」
もちろん菊治はわかっている。いわれるまま両手を喉に当て、上から一気に圧しつける。
「許して、ねぇ、死ぬぅ……」
それでも死なないことはわかっている。
かまわず、「死ね」とばかりに圧しつけると、「いくう……」とつぶやき、「殺してぇ……」と叫ぶ。
ならば殺してやる。それがいまの菊治にできる、冬香への唯一の愛の証しである。
そのまま渾身の力をふり絞って締めつけると、突然「ごわっ」という音とともに声が途切れて、冬香の顎がかたんと沈む。
菊治が誤って冬香を死なせてしまった後は、警察の取調べと裁判が小説の舞台となりますが、それでもやっぱり話題の中心はセックスセックスまたセックス。いい加減にしろと言いたいところですが、まあ、事件が事件ですから。
裁判の焦点は『被告に殺意があったのか否か』ですが、菊治には冬香を殺害する動機も意図もありませんでした。首を絞められたがったのは冬香であり、菊治にはそれを証明する物証がありました。
それは、性行為中の音声を録音したボイスレコーダー。
事件当日だけでなく、菊治はこれまでにも何度もセックス最中の音声を録音し、自宅に戻った後で聞きなおして楽しむために使われていました。
気持ち悪くねーか?!これ、気色悪くねーか?!
録音されていることを知りつつも「しょーがない人ね、ウフッ」とか許しちゃってる冬香も冬香だ。これじゃ元カレに撮られた裸の写真でリベンジポルノを受ける若い娘と同じじゃないか。
良いかいそこのお嬢さん方。結婚するまで純潔を保てなんて言うつもりも無いが、写真動画音声、後に残るものは男からどんなに要求されても残しちゃ駄目だからね!
拘置所の孤独な夜、幻の冬香と会話しながらボイスレコーダーの存在を思い出した菊治。
あのボイスレコーダーを聴かせたら、わかるかもしれない。あれさえ聴けば、あの頑迷で無粋な刑事も納得するに違いない。
—(中略)—
あれだけが、自分に殺意がなかったことを証明する、唯一の証拠である。
「でも……」
菊治はゆっくりと首を左右に振る。
「俺は決して、あれだけは誰にも聴かせないからね。ふゆかと俺の、唯一の愛の証しを、あんな奴等に、死んでも聴かせはしないから……」
とかなんとか言っちゃって。
裁判で自分が不利な状況になるや『ボイスレコーダーがあります!』
さっきの誓いは何処にいった。
深く深く愛しあっている二人なら、それは愛の証しとして、むしろ自然な成りゆきである。
だが、白昼、多くの人の前でその事実について語られると、男の好色さだけが際立って、この男はそんなことまでしていたのかと、呆れた眼差しで見られてしまう。事実、傍聴席には眉を顰めている人もいるようである。
傍聴人の反応に深く深く頷けるというのが、むしろ自然な成りゆきである。
何が“深く深く愛しあっている二人なら自然な成りゆき”だっちゅーの。ねえっちゅーの。
弁護士が証拠を提出し、厳粛な法廷に高らかに響き渡る男女のまぐわい音声を皆で聞かされる筒井康隆的なシュールな光景が広がります。この裁判の陪審員には選出されたくないですね。
「あんたの場合も、多分、セックスのプレイ中に、つい誤って殺した、ということにしたいのかもしれないが……」
「プレイ?」
思わずそうきき返すと、刑事が即座に言う。
「そう、SMプレイのようにね」
冬香と二人で没頭していたのは、プレイなどでは断じてない。真剣に心と肉体を愛しあっていた、その神聖な愛を、SMプレイなどといわれてはたまらない。
法廷で羞恥プレイを披露されて、たまらないのは、こっちだ!
先ほどのデータ検証の話に戻ります。
「失楽園」では文中、性愛に関する記述は合計222ページありました。
「愛ルケ」では合計263ページ。総ページ数716ページに対しておよそ36%。新聞連載の3日に1回は購読者サービスタイムという割合はほぼ同じですね。
で、結局「愛ルケ」がどうなったのかと言いますとね。
菊治には懲役8年の判決が下りました。控訴するかしないか迷っていた菊治の元に、1通の手紙が届きます。
手紙の主は、控訴すべきではないと菊治を諭します。『愛はエロスです。エロスは死です、タナトスです。愛は死によって昇華し、無限のものに…』とかくだくだしく綴りながら、とどのつまりは
「死ぬほどイカせたアンタが悪いのよ」
オバサン何言ってんの?との読者の思いをよそに、菊治だけは「そっかー俺罪人かー」と納得し、従容として“愛の流刑地”に赴く覚悟を決めたところで小説は完結します。
なんじゃそりゃーーーー。何故そこで納得する菊治ーーーー。
オバサンの自分語りを鵜呑みにしてるんじゃねーーーー。
しかし男を落としてから持ち上げてからまた落とす、これが水商売の技か。手紙一本で男を意のままに操るとはなかなかの手練れじゃのう。
渡辺センセイもお亡くなりになって久しいですけどね。
渡辺淳一の死を最も悼んだのは、日経購読者のサラリーマン諸氏かもしれないなあ。だって通勤電車内でポルノ小説を堂々と読む機会を、永久に失ってしまったのですもの。
惜しい人材を亡くしたと新聞紙の影でそっと涙を拭う世の男性達よ。強く生㌔。