本書は、太宰治の代表作「人間失格」の直筆原稿を、写真版で完全収録したものである。この「人間失格」の直筆原稿は、太宰の死後、遺された家族の手で、太宰本人が愛用した着物の生地を使い表装された和綴じ本四冊から直接撮影したものである。今回その原稿が寄贈されている日本近代文学館(東京都目黒区)の協力により、従来綴じ込まれていて見ることのできなかった部分の撮影にも成功。本書をひもとけば、誰もが原稿用紙の全体を閲覧でき、太宰本人の訂正、書き込みのすべてが見られるようになった。「人間失格」はもう活字では何度も読んだ、初めてだがこの機会に読んでみたい、久しぶりに読んでみようか、本書はあらゆる読者のニーズに「直筆」で応える一冊である。
(「BOOK」データベースより)
この本の著者は太宰治とされているのですが、果たしてそれで正しいのでしょうか。
いや、そりゃ「人間失格」を書いたのは太宰治で間違いないんですが、その直筆原稿をじっくりみっちりねっとり読み込んで、
太宰は、該当箇所には丹念に網掛けをして表現を抹消していくタイプの作家なのだが、隠されれば隠されるほど見たくなってしまうのが人情というものだろう。書いた本人にとってはまさに悪魔の所業にちがいないのだが、灯に透かしたり虫眼鏡で覗いてみたりして、いつのまにか夢中になって抹消された文字を読みとろうとしている自分に気がつく
という安藤宏さんの執念と努力はどこに。
「人間失格」のあらすじとか内容については、ここでは割愛。知らない人は国語の教科書でも読んでくだされ。
この本は「人間失格」の直筆原稿を読み解くことによって、太宰治の創作活動の一端、というか、言葉へのこだわり、というか、太宰の“肉声”を覗き見ることができます。
安藤宏さんの“野蛮な情熱”と、失礼な言い方をすれば旺盛な出歯亀精神によって。
いうなれば、これはあくまでも「もう一つの物語」なのだ。葉蔵が罪を意識的に自覚して周囲から「へだたり」を作ろうとする姿は、原稿を見なくても、小説自体からたしかに読みとることができる。だが、その「へだたり」を作る際に作者がどのような試行錯誤を繰り広げていたか、というのは、『人間失格』の成立にまつわる、いわばもう一つの「人間失格物語」なのである。
パソコンで原稿を作成する作家さんが殆どとなった現代ではもうありえない、もうひとつの物語。
安藤宏さんの“野蛮な情熱”は、太宰が墓から這い出してきそうな勢い。太宰まるはだかにされてます。
直筆原稿の1ページ1ページ、ただ原稿写真を貼り付けるだけじゃなくって、訂正部分の説明や網掛けで消去した単語の記載、読点の位置変更までを欄外にみっちり記載。
これって、女性の着替えを覗き見るのと同じだと思うのですよ。
女性が綺麗キレイに身づくろいをするために行なう、着替えとか、化粧とか。
化粧前のスッピンを暴かれるようなものだから、そりゃあ太宰サンも怒るだろうねぇ。
『直筆で読む「人間失格」』を読むことにより、現在小説家を志している人にとっては、太宰治の創作過程を知る上で参考となる点が多いと思います。太宰治の小説が好みがどうか、は別としてね。
表現や台詞の配置、単語のひとつひとつまでを吟味して推敲しているのが伺い知れる事は、多分、益は多くとも決して損はない。
そして、それ以外の人。例えば私のような人間にとっては。
女の着替えを覗き見るピーピングトム的、ゾクゾクとした背徳感を満喫できることでしょう。ああ、下衆と言いたければ言いたまえ。