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青木玉「幸田文の箪笥の引き出し」

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着物を愛し、さっそうと粋に着こなした幸田文―。残された着物の、一枚一枚に込められたさまざまな想いを、娘の目からたどるとき、在りし日の母の姿はあざやかによみがえる。四季の移り変わりを織り込みながら、祝い事などの場の雰囲気に合わせて、みごとに「装い」を調えた幸田文の、独自の美意識、そして当時の日本人が共有していた生活感を、愛用の着物の写真とともに伝える。
(「BOOK」データベースより)

きものが好きでして。
日常的に和服を着るベテランの域ではありませんが、ちっと(かなり?)前までは出来るだけ着物を着る機会を作ろうとしていました。
最近では殆ど着なくなってしまいまい、ちょっと寂しい。
着物はねー。着て歩いている分にはさして面倒じゃないんだけど、着た後の片付けと手入れが面倒なのよー。
 

自分では着なくなったものの、ヒトサマの和服姿を見るのは今でも好きです。
あと、着物にまつわる話を書いた本を見るのもちょっと好き。
そのきっかけになったのが、この本「幸田文の箪笥の引き出し」です。
 

著者の青木玉さん(旧姓幸田)は幸田文の娘さんで、幸田文は著名な作家さん。
とはいえ幸田文を読んだことがない私は、『こうだ・あや』を『こうだ・ふみ』とずーっと読み間違えていたくらいな体たらく。
ちなみに幸田文のお父上、つまり青木玉のおじいさんは幸田露伴。幸田露伴も読んだことないですー。すみませんー。
 

でも大丈夫。幸田露伴を知らなくっても、幸田文を読んだことなくっても「幸田文の箪笥の引き出し」は、読んで楽しい。

「幸田文の箪笥の引き出し」では、幸田文とご自身の“きもの生活”、そして遺された着物の数々について、作家の娘としての日常をまじえながら、写真とともに語り綴られています。
 

明治生まれの幸田文。今よりは和服姿の女性が多い時代ではあるものの、その中でも生涯ほとんど洋服を着ずに和服姿で通したのは当時でも珍しかったようです。
で、着物を常着にしている人ならではの、生活に密着した“きもの”エピソードがいくつも。
 

目上の方へご挨拶に伺う時に、普段着素材の絣で行く必要があり、格をあげるために帯をどうしようか悩んだり。
 

着付けた黒いお召の一部分の色が気になり、出かける直前に筆先の墨でちょちょいのちょいと塗り隠したり。
 

菜の花柄の黒留袖を注文したら、絵付けの人が気張りすぎて「健康優良児の菜の花」になってしまったり。
 

裁ちかけの浴衣がそのまま箪笥に仕舞いこんであるのを見て、母の老いを感じたり。
 

ネコを染め粉で染めたり(!)
 

ところで、私なんぞは着物を購入する機会があっても(滅多に無いけど)出来上がっている反物を仕立ててもらうくらいがせいぜいですが、この本の中ではちょいちょい呉服屋さんへ注文して、自分のイメージや欲しい図柄で生地から染めてもらうのですね。
昔の呉服屋さんってそういうのが当たり前だったの?それとも富裕層ならではの特権なのでしょうかね?
 

話戻して、一番好きなエピソードをご紹介。
娘(青木玉)の婚礼で、母(幸田文)が留袖を作る時の話。
 

嫁ぐ不安、結婚式への不安、新しい生活への不安が垣間見える若き花嫁のこしらえ中に。

はははと笑って
「嫁さんの親は黒の留袖にするのが決りだけど、黒は何だか着たくない。向うのお母さんに許して頂いて、ちょっと外して紫にしよう」と色見本の代りに紫の小裂を紺屋に出した。

そして、いよいよ婚礼の日になって。

当日、披露宴の席に着き、真紅の着物に守られ、用意されたひときわ明るい光の中に居た。どんな目で見られても心は騒がなかった。
(中略)---テーブルに着くと男の礼服も女の黒留袖も、とかく沈んで喪服に似る。隅の一点に紫がある、ああ母さんはこれを考えて着物を作ったかと悟った。
「私はここに居るよ」と。

留袖の色合いだけで母の愛が目に見える。ぼんやりと灯る遠くのランプの明かりのように。
きものって、素敵ねぇ。しみじみ。

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