華やかな歌舞伎座の楽屋に、藤娘の衣裳を着て現れる女形の幽霊。唐子の着物をほめてくれた混血の美青年が戦時中にたどった運命。夫と息子に先立たれた老女が黙々と織る越後上布。男に翻弄されたホステスが遺した大島。老境を迎えた辰巳芸者の着物への執念。畳紙に包まれ密やかに時を刻んでいた着物が、繙かれ鮮やかに語り始める…。縦糸と横糸のあやなす、美しく残酷な11の物語。
(「BOOK」データベースより)
「花をいっぱい描いた絹にくるまれて紐で縛られる。女としてこんな幸せなことはないやろ」
機会はめっきり減りましたが、着物を着るときにはいつも心に浮かぶ上記の台詞。
これは林真理子の短編集「着物をめぐる物語」の中の『お夏』で、日本画家の甲斐庄楠音が言う言葉です。
着物のわずらわしさと、着苦しさと、艶っぽさ。
好悪ない交ぜになって、伊達締めを締める手にもつい力が入るってもんです。く、苦しい。
「いい絹はな、まとうとさらさらと鳴くんやで。何かの拍子にな、指がこうして胸のところに触れる。するとなあ、やわらかい絹にあたるんや。そうすると指が痺れるみたいに嬉しくなるわ」
林真理子が、かつて着物に夢中になっておられたのは、結構有名な話。
最近でも直木賞選考会などのニュース映像で林真理子さんの和服姿を拝見しますが、今では当時ほどの着物熱に取り憑かれてはいないご様子です。
着物はね~。魔物よね~。新宿のホストよりも女を狂わせるわよね~。
私のような庶民はともかく、なまじお金を持っていたりする女性が着物にハマってしまうともう大変。呉服屋が財布の底までかっさらって行くのが容易に想像できます。
林真理子が、かつて着物に狂おしく恋をしていた真っ只中に書かれた「着物をめぐる物語」。
タイトル通り“着物”と、“着物”を手にする人々の小説です。例えば歌舞伎役者、ホステス、着付師、呉服店の主人、ホステスetc。時代が変わっては戦前戦後の、着物がまだ日常的な衣服であった頃の話もいくつかあります。
着物にどっぷり浸かって、着物に関わる人間をねっちり見つめて、着物の“熱”に筆を躍らせて書いた物語たち。
林真理子が呉服屋に貢いだ金銭は、この印税でいくばくかは回収できたものか…。
神さまっていうのはよくよく意地悪に出来ているらしい。掌で女をこさえる時にね、ようく息を吹き込んで念入りにつくった女に限ってね、中のネジをわざと忘れるようなことをするの。銀座にはそういう女がごまんといたわ。
一冊丸ごと着物きものキモノーっ!な「着物をめぐる物語」ではありますが、『キモノ?なにそれおいしい?』な向きでも、それはそれでお楽しみ頂けるのじゃないかとは思います。
但し、着物にも興味はありません、女の業にも興味はありません、とダブルで重なると、この短編集は全く琴線にかすりもしないかもしれない。
それはそれで、幸せという気もする。読み手が男女に関わらず、ドロドロとした女の業を遠い世界のものと考える清らかな御仁が読むべき本は、この本じゃなくて「星の王子さま」だ。
あなたや私のように清らかではない層(勝手に決め付け)ならば、心中にこの短編集に満ちた、ドロドロとうねる熱いマグマと、絹のひんやりとした手触りが心に触れるはず。
着物って怖いなあ、女って怖いなあ、と時に身をそばめながら、深い深い穴の底を覗くように、楽しめることでしょう。
作業を終えた私はその晩高熱を発し、一週間近く寝ついてしまいました。その前の時もそうでした。女の体を美しく飾ったものは、なぜか他の女を呪おうとするのです。発熱や吐き気といったものを与え、肉体を苦しめようとするのです。
—(中略)—呉服屋なら必ず体験していることでしょう。私はけれどこの奇怪な現象を心のどこかで喜んでいるのです。こんなことがセーターやスーツで起こるでしょうか。着物だけが女を呪う力を持つのです。着物だけが怖しい執念を宿すのです。
綺麗で、華やかで、すべらかで、でもねっとりとしていて、不可解で、怖い、着物なるもの。
「着物をめぐる物語」は林真理子が、かつて着物に狂おしく恋をしていた真っ只中に書かれた、ラブレターのような一冊です。