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押川剛「「子供を殺してください」という親たち」

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自らは病気の自覚のない、精神を病んだ人を説得して医療につなげてきた著者の許には、万策尽きて疲れ果てた親がやってくる。過度の教育圧力に潰れたエリートの息子、酒に溺れて親に刃物を向ける男、母親を奴隷扱いし、ゴミに埋もれて生活する娘…。究極の育児・教育の失敗ともいえる事例から見えてくることを分析し、その対策を検討する。現代人必読、衝撃のノンフィクション。
(「BOOK」データベースより)

「いっそ死んでくれたら」「誰かに殺されてくれれば」「目の前からいなくなってほしい」
親が自分の子供についてそう思うのは、果たして許されないことでしょうか?
 

筆者 押川剛さんという方は、精神障害者移送サービスなる業務を行う会社の創業者です(今の社長は別の方)
精神を病んでしまったために引きこもりや家庭内暴力、近隣への迷惑行動を繰り返す患者を病院に移送し、転院や転地も含めた生活のコーディネイトを行うお仕事。
 

いや世の中には色んな仕事があるもんだ…と思いネットで調べましたら、結構いっぱいあるもんなんですね!確かに、タクシー呼んでさあ行きましょって訳にはいかなさそうですものね。
各社のウェブサイトを見れば迅速対応を謳う会社もあり、低コストを謳う会社もあり。それに対して押川さんの創業した「トキワ精神保健事務所」という会社の料金体系は、本の記述にある限りでは群を抜いて高額そう。桁がひとつふたつ違うぜ!
高いから優秀だとか、安かろう悪かろうということを言いたいのではなくて、価格差はサービス範疇の違いだとご認識下さいませ。「トキワ精神保健事務所」のサービスは、ただ行って運んでじゃないのですよ。
 

この本は、トキワ警備(現「トキワ精神保健事務所」)代表の押川さんが、これまでに経験した様々な事例を元に、対象者と家族との関わりや、保険福祉制度などについて綴っています。

なお、各ケースの疾病名や病状については、あくまでも私が携わった例をもとに記述しています。これらの疾病や病状があるからといって—(中略)—各ケースのエピソードは、あくまでも主要なものを挙げるに留めており、本人の年齢が上がれば上がるほど、書き尽くせない壮絶な事実の積み重ねがあります。家族の再生どころか、身の安全すら保たれないと判断した結果の結論であります。その点をご了承のうえ、本書をお読み頂ければと思います。

まず目につくのが、著者押川さんの全方向に対する気遣いの多さです。「今の」「一定点から見た」「第三者からの」発言だと強調する箇所がはなはだ多し。
これは、突っ込みどころを避ける故か、はたまた言えないことの方が多い故か。なーんか、後者の可能性が高いような気がするな。

「だったら、いっそ殺してもらえませんか」
母親は顔を上げて言った。焦点の合っていない瞳に、逼迫感だけがありありと浮かんでいる。
「お母さん、何を言っているんですか!」
すると母親は、自らに言い聞かせるようにして呟いた。
「殺してもらえるっていう確約がなければ、そんな大金は払えません」
—(中略)—
それからさらに数年後のある日、私は報道で、この息子が殺傷事件を起こしたことを知ったのだった。

本の前半では、実際に押川さんが携わった事例で、解決策(あるいは解決しなかった結末)までを紹介しています。
それぞれのエピソードも壮絶つっちゃ壮絶なんですが、私が一番びっくりしたのって病院に行ったら治るという信頼感が否定されたことなんですよ。
 

「トキワ精神保健事務所」のお仕事は、精神を病んだ対象者を病院に移送すること。
で、病院に無事行けたのなら、病気は治って万事解決だろうって……そう思いません?
 

それが、そうではないらしい。
「「子供を殺してください」という親たち」に出てくる対象者たちは、皆その殆どが、それまでに何度も入院したり社会福祉相談を受けていたりする常連さんなのです。
そりゃあ盲腸やポリープみたいに、悪いところを切除したらハイ終わりって類の病気ではないことは分かっちゃおりますが、それでも、さあ?然るべきところに相談して、然るべきところに治療に行ったら、病気って治る…もんじゃないのかな、って、そんな気がしていたのですよ。
多分、それはこれまで私が精神的にも肉体的にも頑健であるが故の幸福な勘違いなんでしょうね。
 

保健所に相談に行っても、解決できない。福祉センターに行っても、具体策は提示してもらえない。事件にならなければ、警察は動かない。
病院はなかなか、受け入れてくれない。例え入院できても、三ヶ月したら追い出される。
 

治らない患者と、それに振り回される家族。老いて行く両親、割を食う兄弟姉妹。
「いっそ死んでくれたら」そう考えてしまうのは、考えてしまうだけでも、許されないことでしょうか。

当時のことを振り返って、父親が私に、こう言ったことがある。
「あのとき、則夫をそのまま放っておけばよかった。そうすれば、出血多量で死んだかもしれない。仏心を出して助けたりしたせいで、今もこうして苦しめられるなんて……」

第2章以降はちょっと話を広げて、現代の精神保健福祉について筆者の思うところを語っています。

私がこの本を執筆している間に、精神保健福祉の分野は大きな転換期を迎えました。それは、「精神保健福祉法」が二〇一三年六月に改正され、二〇一四年四月より施行されたことにあります。—(中略)—「死」を思うほど追いつめられている家族がいることや、そういった最悪なケースほど、専門機関や専門家から敬遠され、放置されているという真実が見えてきました。「このままでは大変なことになる」という危機感こそ、私が抱いていた率直な思いです。
そして四月に改正精神保健福祉法が施行されて以降、その危機感は現実のものとなりました。

で、ここでまた押川さんの気遣いが発露。というか、この問題『誰が悪い』で解決できる問題じゃないみたいです。
 

例えば、上記でちょっと触れた「入院できても三ヶ月」というのも、2013年改正の精神保健福祉法で変わった点なんですけどね。これは有床病院の医療報酬に関連する話だから、精神科に限った問題じゃないですけど。
入院して3ヶ月たつとレセプトの点数がぐっと下がる。かといって3ヶ月後から病院代を値上げする訳にもいかないし。
それに、暴力癖があったりトラブル行動を頻発する、正にここで登場するようなタイプの患者は、病院としても面倒みたくないのが本音。『私たちも怖いですよ』だから問題のある患者はブラックリストに載せられて、転院しようにも次の病院で断られるケースもあります。
 

社会福祉の力は借りられないかな?と思っても、実際問題、対応する役所も人手不足。なのに年間の相談件数ノルマは課せられる。すると勢い、簡単なケースの方から処理されて行く。
 

よって、第1章で登場する対象者のような人(と家族)は取り残されていき、結果として押川さんの元に相談に来るころには、既に崖っぷちギリギリのところになっている訳ですよ。
 

これ、誰が悪いのかなあ?
患者本人?それとも育てた親?治さない病院?理解のない世間?行政?国家?
どこかに責任を負わせれば、それで解決できる?
——解決できない事実が、今現在も、どこかの家庭で存在しています。
 

ちなみに私がこの本を読んでいた時に娘がやってきて、表紙の題名を見て『母さん……私、ヤバい?』と笑ってました。
いや今現在、母はあなたに死んで欲しいとは思っちゃいないけど。
もし万が一、万々が一、この本の対象者と家族のような状況に陥ってしまったとしたら……その想像は、恐ろしくてできないわ。
 

親が自分の子供に「いっそ死んでくれたら」なんて、思う筈がない、思える筈がない。
多分それは、ぬるま湯に浸かった私の、幸福な勘違いなんでしょうけど。

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