真希は29歳の版画家。夏の午後、ダンプと衝突する。気がつくと、自宅の座椅子でまどろみから目覚める自分がいた。3時15分。いつも通りの家、いつも通りの外。が、この世界には真希一人のほか誰もいなかった。そしてどんな一日を過ごしても、定刻がくると一日前の座椅子に戻ってしまう。いつかは帰れるの?それともこのまま…だが、150日を過ぎた午後、突然、電話が鳴った。
(「BOOK」データベースより)
“時と人”シリーズ三部作のひとつ。
北村薫としては異色の、SFちっくな設定のシリーズです。舞台設定も登場人物も、話の内容は全く違うシリーズに共通するのは“時”と、時に翻弄される“人”。
「ターン」の主人公は《君》です。《私》でもなく、名前の《真希》でもなく、二人称の『君』。
じゃあ《君》と呼んでいる、語り手は誰なのか?…それは、読んでからのお楽しみと致しましょう。
《君》=真希の日常は、人知れず静かな毎日。日々同じ事の繰り返しの毎日。比喩的な表現の“繰り返し”ではありません。本当に、同じ毎日の繰り返し。
真希の一日は、毎日起こる『くるりん』によって、一日前の3時15分に戻ってしまうのです。
人っ子一人、鳥も虫も動物もいない町。
『くるりん』が起こる度に、一日前に置いてあった場所に戻るモノ達。食品やレストランの食事も元に戻るので、飢えて死ぬ心配はなさそう。
「さあ、作戦会議だ。皆な集まって!」
君、一人だろう。
「—そうだけど」
紅茶をいれて、テーブルに着く。
「まず、水、電気は今のところ、普通に使えます」
「それは大きい」
「そこで、目下、最大の問題点は、生ゴミかと思います」
だよねえ。夏だもんねえ。
上記の一人会議は、真希が昼寝から目覚めて“町に人がいなくなった”事態を知った時点で考えたこと。
“町から自分が取り残された”ことにより、どうやって自分は生きていけば良いか、悩みました。でもそうじゃないことに、その後真希は気付きます。
“町から自分が取り残された”んじゃなくて“時間から自分が取り残された”ってことに。
何やってもひとり。何やっても『くるりん』で戻る。ただ生きていくことだけなら出来るけど、生きる意欲が湧くかどうかは別の話。
版画家である真希にとって、創造したエッチングも『くるりん』が来れば消えてしまう。ホームセンターで植木を買っても、それが花をつける日は来ない。
たったひとりの繰り返しの生活で、発狂せずにいられただけでも、真希って結構強い。
真希の体感で150日が経過した後、事態は急変します。
誰もいない筈の世界で、鳴った1本の電話。
電話の先にはひとりの男性、泉さんが居ました。現実の世界に。
どうやら現実の世界では、真希は交通事故にあい、そのまま意識が戻らず眠り続けているらしい。
ここから唐突に「ターン」は恋愛小説にスライド!
電話越しの恋です。純愛です。プラトニックです。なにせ電話越しですから。
手すら繋がない彼等の爪の垢を、愛ルケの菊治に飲ませてやりたいもんだ。あいつらサカりっぱなしのくせに純愛とか寝言ほざきやがって。
ただひとつの現実社会との接点である電話を通して、真希と泉さんは電話で語り合います。
何故だかお互い以外には疎通が出来ないため、他の人と交流をすることはできませんが、それでも泉さんを仲介人として、真希のお母さんと電話越しでお料理教室を開いたりする。
非日常から、ほんの少しずつ日常に戻りつつある姿が、とってもシミジミほんわかします。
とはいえ、そうそう順調にいったらつまらないので、『くるりん』の世界で出逢った(!)人が若干アブない男だったり、電話の接続が切れたり、途中からは真希ちゃんどうしような状態に陥りますが。
でも、大丈夫。「ターン」の後半は恋愛小説だって言ったでしょ?
より丁寧に言えば、ディズニープリンセスの映画ですから。
だから大丈夫。どう大丈夫になったのかはここでは言いませんが、大丈夫です。
白雪姫も、眠り姫も、王子様のキスで目が覚めるもの。
真希と泉さんがキスしたかどうかは定かではないけれど、お姫様の目覚めって、そういうものよ。