十六歳で、少年の倦怠を描いた作品「花ざかりの森」を発表して以来、様様な技巧と完璧なスタイルを駆使して、確固たる短編小説の世界を現出させてきた作品群から、著者自らが厳選し解説を付した作品集。著者の生涯にわたる文学的テーマや切実な問題の萌芽を秘めた「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」「詩を書く少年」「海と夕焼」「憂国」等13編を収める。
(新潮社より)
新潮文庫の三島由紀夫本といえば、白地にオレンジの題名、グレーの著者名、背表紙は題名と同じオレンジ色。
あのシンプルかつ大胆なデザインが、文学少女のココロをいたくくすぐった時代がありました。
そ・れ・が。今では新潮文庫の三島由紀夫本の装丁が変わってしまい、あのオレンジ色が書店で見られなくなってしまいました。
なぜ?!なぜなの新潮社さん!
あの白地オレンジの表紙じゃなくっちゃ、三島由紀夫と言えないでしょう?!
あの背表紙がずらっと本棚に並んでこそ、三島の退廃の美を感じられるものでしょう?!
・・・と、嘆いていたのは、さくらのかつての同僚。
しかし、さくらの自宅近くには、今はもう閉店してしまった街の小さな本屋がありまして。
そこには彼女の求める“白地オレンジ&グレー”の新潮文庫がずらっと並んでいました。当時でも(ああ、だから閉店に至ったのか)
本屋でそれを見つけた私、その場で携帯メールを彼女に送り
「○○と○○と○○と(以下略)・・・どれか買っておく?」
彼女から秒速で返信。
「全部買い占めて!!!」
という訳で新潮社さん、三島由紀夫の読者は今でも、燃え滾る白地オレンジ愛があるようですよ。
復刊したら売れるかもしれませんぜ。
さて。「花ざかりの森・憂国」
表題作2編を含んだ短編集ではありますが、その中で読むべき短編はただひとつ。
「憂国」です。「憂国」。なんつったって「憂国」。
他?いいよ読まなくても。暇だったら読んで。さくらは別に読まないけどね。
「憂国」は、二・二六事件の時代の青年将校と、その妻の物語です。
友人の青年将校達が二・二六事件で決起し、だけど決起の仲間には入れなかった夫、信二。
勅命によってかつての親友を討伐しなければならなくなり、自ら死を選ぶ。
結婚生活で精神も、肉体も新たな開花を迎えた、艶やかで高貴な妻、麗子。
『軍人の妻として来るべき日が参りました』と、夫が逝く死出の旅に同行を求める。
死と、美と、エロティシズム。
夫婦の心中の一切が、お能のような静謐な空間で描かれています。
「介錯がないから、深く切ろうと思う。見苦しいこともあるかもしれないが、恐がってはいかん。どのみち死というものは、傍から見たら怖ろしいものだ。それを見て挫けてはならん。いいな」
軍人として、万が一にも死に損なう事が無いように、夫は妻を見届け人として後に残します。
妻は、それが信頼の証として大きな喜びを感じます。
そして。
そのとき中尉は鷹のような目つきで妻をはげしく凝視した。刀を前へ廻し、腰を持ち上げ、上半身が刀先へのしかかるやうにして、体に全力をこめているのが、軍服の怒った肩からわかった。中尉は一思いに深く左脇腹へ刺さうとしたのである。鋭い気合の声が、沈黙の部屋を貫いた。
ここから信二の切腹の描写がはじまるのですが、ここからがまあ大変あらあらびっくり懇切丁寧にねちっこいこと!
三島由紀夫の願望投影バリバリです。例えていうなら腐女子が乙女ゲームの主人公に願望投影するように?
世の三島ファンに討たれそうな気がしますが、仕方がない。だってあまりにも、割腹の描写が生き生きとねちっこくて猥雑なんですもの。
発表当時、これを全くの春本として読んで眠れぬ夜を明かしたバアのマダムがいらしたと、のエピソードが有名ですが、それもむべなるかな。
「愛と死の光景、エロスと大義との完全な融合と相乗作用は、私がこの人生に期待する唯一の至福」
(「花ざかりの森・憂国」解説より 三島由紀夫談)
・・・と、三島センセーもおっしゃってます。
作者のお墨付きを得て、この本はR18アダルト指定。
眠れぬ夜を過ごしたバアのマダムの読み方が、この小説に関しては最も正しい。