手違いで惑星基地から締めだされた探検隊の一員。融通の利かないロボットを言いくるめなければ命が危うい。彼のとった奇策とは? 表題作ほか、気弱な男の突拍子もない人格改造術「コードルが玉ネギに、玉ネギがニンジンに」、大戦以後失われた文学の〈記憶〉を売る男と村人の交流を描く「記憶売り」など、黒いユーモアとセンチメントが交錯する、奇想作家の佳作16編。
(東京創元社 内容紹介より)
平成の今、ロバート・シェクリーの存在を知っている人はどのくらい居るものなんだろう?
SFブームが去った今(哀)、アシモフもハインラインもアーサー・C・クラークも、手に取る人は少数派な気がします。
ましてやロバート・シェクリーは、SFブーム全盛の時代ですら時代遅れのイメージを持たれていた感がありましたから、いまではさらに時代遅れと言われるかと。しくしく。ああ、過ぎ去りし遠き日々よ。
しかしながらですね。
ロバート・シェクリーは、どちらかというとロアルド・ダールとかサキとか『奇妙な味』を得意とする作家です。日本で例えたら阿刀田高の初期短編がそれにあたります。
SFちっくな設定の上での作品もありますが、クラーク系のいわゆる『硬質なSF』とは趣きが異なります。
SF全盛期の時でも評価が低く、平成の今はその存在すら忘れられているシェイクリイ!
ちょっとお待ちよそこのお嬢さん。捨てたもんじゃありませんぜシェイクリイおじさんは。
そもそもタイトルからして、イカした短編が集まってます。
「コードルが玉ネギに、玉ネギがニンジンに Cordle to Onion to Carrot」
「こうすると感じるかい? Can You Feel Anything When I Do This?」
「架空の相違の識別にかんする覚え書 Notes on the Perception of Imaginary Differences」
「消化管を下ってマントラ、タントラ、斑入り爆弾の宇宙へ Down the Digestive Tract and into the Cosmos with Mantra,Tantra,and Specklebang」
「シェフとウェイターと客のパ・ド・トロワ Pas de Trois of the Chef and the Waiter and the Customer」
タイトルの妙がシェイクリイの功なのか、訳者の酒匂真理子の功なのか判らず(ほら、さくらさん英語できないからね…)原題と日本語題を併記してみました。
ねっ?タイトルだけ見ても、ちょっと読んでみたくなるでしょ?
特に「こうすると感じるかい? 」を読みたくなった男性諸氏よ。君の気持ちがわからない訳じゃないが、まずそこに食いつくのは辞め給え。
ちなみに言っておくと「こうすると感じるかい? 」は、掃除機に若奥様があれやこれやされてイヤンウフンな話よ。さらに読みたくなった君はどうかと思うね。
「こうすると感じるかい? 」の詳しい紹介を望む男性諸氏の夢を打ち砕くかのように、違う短編の紹介なぞしちゃいます。
「シェフとウェイターと客のパ・ド・トロワ」えーとこれね。SF的な設定は一切ありません。
スペインのイビサ島にある、インドネシア料理レストランでの話。
登場人物は、シェフと、ウェイターと、客。
インドネシアには「ライスターファル」という名物料理がありまして、中国で言えば満漢全席?高知で言えば皿鉢料理?種類たっぷりボリュームたっぷり。ライスターファルはさらにカロリーたっぷり。
「シェフとウェイターと客のパ・ド・トロワ」では、客がライスターファルを食べて、食べて、食べまくります。食べて食べて巨漢になって『気味悪いほどでぶでぶ』の『反吐が出そうな』デブに変貌します。
どうして客が『気味悪いほどでぶでぶ』の『反吐が出そうな』デブになったのか?
シェフは「私の料理の腕がまるで催眠術のように、彼の味蕾をあやつってしまった罪です」
ウェイターは「私が彼を音楽の奴隷にしてしまい、私のかけるレコードを聴くためには食事をせざるを得なかったのを見過ごした罪です」
客は「私がウェイターに同性愛的な魅力を感じてしまい、彼との無言の交流のために通いつめた罪です」
芥川龍之介の「藪の中」(&黒澤明の『羅生門』)のように、ひとつの事象のなかで、3人が3人とも違うことを言っていて、どれが真実なのかわからない。
3人の独白、どれが本当?どれが嘘?
「藪の中」で唯一無二の真実が明かされないように、「シェフとウェイターと客のパ・ド・トロワ」でも真実が明かされることはありません。
読者に『なんなの?えっ、なんなの?!』と混乱させておいて、ポーンとそのまま放りっぱなしで終わらせちゃうのがロバート・シェクリー。そのお尻ムズムズ感が良いんだけどね。
まあでも、客の独白はどうかと思うよ。店に通う理由がそれって、どーよ。
世の流行がSFから離れようと廃れようと、SFの魅力が変わる訳じゃなし。
ロバート・シェクリーが忘れられようと、ロバート・シェクリーの魅力が消える訳じゃなし。
でもねやっぱり忘れ去られるのは悲しいの。
機会があったら読んでみてよシェイクリイ。どうせ絶版だから図書館でも古本屋でも。何なら貸すよさくらの愛蔵本(嘘)
このまま忘れられていくには、惜しいんだよなあ。