ある日とつぜん夫に別れを告げられた妻は、思わず夫の頭に一撃を喰わせてしまった。刑事である夫の死体が目の前に転がっている。まもなく夫の仲間の警官たちがやってくるにちがいない。さて、妻は凶器をどうする?短篇ミステリのスタンダードとしてあまりにも有名な上記「おとなしい凶器」をはじめ、常軌を逸した賭けの行方や常識人に突然忍び寄る非常識な出来事などを、短篇の名手が残酷かつ繊細に描く11篇を収録する。
(「BOOK」データベースより)
“奇妙な味”という、小説の一ジャンルがあります。
奇妙な味とは、本来は探偵小説や推理小説のうちの「変格ミステリ」と呼ばれた作品の一部であった。江戸川乱歩の造語で、ミステリともSFとも、また怪奇小説ともつかない特異な作風を指す。論理的な謎解きに主眼を置かず、ストーリー展開及びキャラクターが異様であり、読後に無気味な割り切れなさを残す点に特色があり、短編作品でその本領が発揮されることが多い。
(Wikipediaより引用)
映画「チャーリーとチョコレート工場」の原作本を執筆したロアルド・ダールは、“奇妙な味”のストーリーテラーの代表格のお方。
そういえば、阿刀田高がまだ新人作家であった時代に、自分の活路をどこに見出すか、小説でメシを食っていくためにどんなジャンルを売りにしてくのかを考え『和製ロアルド・ダール』を目指したということを彼のエッセイで読んだ覚えがあります。
ダールをリスペクトして出版した『だれかに似た人』という短編集もあります。お好きなのね。
こっちが元々の“奇妙な味”ロアルド・ダールの「あなたに似た人」です。
阿刀田高がお好みの人は、本家本元も読んでみそ。
「あなたに似た人」の中で一番有名(らしい)のは『おとなしい凶器』という短編です。せっかくなのでちょっとご紹介。
パトリック・マローニ夫人は、刑事の旦那様を心から愛する主婦。お腹の中の赤ちゃんが産まれたら、愛する者がもう一人増える予定。
幸せいっぱいの生活は、夫からの突然の離婚宣言によって崩れ去りました。
家を出て行こうとする夫の後頭部に向かって振り下ろしたのは、夕食に使う予定だった、カチカチに凍った大きな骨付きラム肉。
『鉄棒でやったのと同じだった』
彼女は羊肉をオーブンに入れ、食料品店に買物に出かけます。もちろん購入するのは、愛する旦那様に出してあげる今夜のディナーの材料。
さて——家へ急ぎながら、彼女は心のなかでつぶやく。このわたしは、食事を待っている夫のもとへ帰っていくところなんだわ。そして、あの人のために、上手にお料理してあげなくちゃ、だって、あの人はとても疲れていて、可哀相なのだから、できるだけ腕をふるって、おいしいお料理をつくってあげるの。—(中略)—そうだ。パトリック・マローニ夫人は、木曜日の夜、夫の食事の用意をするために、野菜を持って家へ帰るところなのだ。
気軽に鼻歌さえ歌いながら帰宅したマローニ夫人が発見したのは、頭から血を流し居間で死んでいる旦那様の姿。
すぐさま通報し、警察が到着。夫の刑事仲間達が現場検証や事情聴取をはじめました。
刑事たちにしてみれば、よく見知った仕事仲間の奥さん。いつも優しく従順で、血を見ただけで倒れそうな大人しい女性が、夫の突然の死に身も世もあらず憔悴している。
買物先の食料品店主の証言も、マローニ夫人の潔白を裏付けていきます。
物取りか強盗か…現場検証の間にもオーブンは働き続け、せっかくの羊肉が危うく黒コゲになるところでした。あー危ない危ない。
「お願いですわ、お願いだから食べていらっしゃって」と彼女はたのむように言って、「わたし、とても、いまは食べられないんですの。だって、あの人がまだ生きていたときに、家にあったものなんですもの。だけど、あなた方だったら別ですわ。すっかり食べていただけたら、わたし、ほんとにうれしい。ね、おすみになってから、仕事をなさったらいいじゃありませんか」
で、4人の刑事さん方。
仕事ほったらかして、こんがりと焼けたラムのモモ肉を皆で頂いちゃうんですよ。
他でもないパトリックの奥さんの、たっての願いでもありますし。
捜査にはとても時間がかかって、お腹もすいてるし。
「奴は凄くデカイ棍棒かなんかで、パトリックをなぐったんだな」(中略)「だから凶器なんか、すぐ見つかるはずなんだがな」
「おれもそう思ってるんだ」
—(中略)—
だれかがゲップをした。
「まあ、おれの思うにゃ、この家の近くにあるにちがいないのさ」
「ああ、きっとおれたちの目と鼻のさきにあるだろうぜ、なあジャック?」
となりの部屋で、メアリ・マローニは、クスクス笑い出した。
不思議な感覚や、黒い笑いが欲しくなったらロアルド・ダールをどうぞ。
“奇妙な味”は少々苦味がありますが、クセになる味わいですよ。