どうしても欲しい高価なネックレスを手に入れるための、見事な策略を成功させた人妻を描く「割勘で安あがり」、夕刻車で友人宅へ向う途中に追跡車に気づき、必死で逃げる女性の恐怖とその意外な結末「高速道路の殺人鬼」、四通りの全く違う結末が用意され、読者が好きなものを選べる「焼き加減はお好みで…」など、いずれも奇想天外なアイディアと斬新な趣向を凝らした十二編を収録する。
(「BOOK」データベースより)
あー楽しいよー。この短編集、どの一編を読んでも楽しいよー。
ジェフリー・アーチャーの短編小説は、いつもお洒落でスマートで、ひねりが効いて面白い。
「十二の意外な結末」の時にも書きましたが、野球に例えるならば剛速球ストレートではなく職人芸の変化球。
投げられているのがフォークやシンカーだと思っていたら、実はド直球ストレート!だったという、一周まわって逆にびっくりという驚きもまた楽し。
本書でいえば『眼には眼を』がその代表。いやもうこれ驚きのド直球だから。ハンムラビ法典じゃ、ないから。
幾度も繰り出されるアーチャー先生の変化球と騙し討ちに小気味よさを感じてしまうのは、そりゃ面白いってのも勿論ですが、根底に流れる勧善懲悪的なスッキリ感も理由のひとつにあります。
少数の例外はあれど、基本的にはその短編においても、善人は幸せな結末を迎え、悪人は不幸になり、コスい奴は割を食うというのが基本形です。
例えば、ひとつの短編に4つの結末が用意されている『焼き加減はお好みで…』が好例。
『焼き加減はお好みで…』の冒頭では、街ですれ違った美女を追いかけて、主人公マイケルが劇場の隣の席に坐るところから。
芝居の幕間に声をかけて話もはずみ、芝居がはねた後のディナーもお誘いしたりして。
さてさて今宵、甘い夜が始まるか、どうか?
作者から読者へ
読者はこの時点で物語の四種類の結末のうちから好きなものを選んでください。
四種類の結末をすべて読むもよし、あるいはひとつだけ選んでそれをあなただけの結末と考えても構いません。全部読むことにした人は、それぞれの結末が書かれたつぎの順番に従って読んでください。1.レア(レア)
2.バーント(黒焦げ)
3.オーヴァーダン(焼きすぎ)
4.ア・ポワン(ミディアム)
マイケルが美女をイタリアン・レストランにお誘いした後、基本的には上記の4パターンとも、同じ流れで話は進んで行きます。
駐車禁止の場所に乗り捨てた車がレッカー移動されていたのも同じなら、雨が降ってきて濡れ鼠になるのも同じ。
台詞回しもほぼ似た会話で、どこがどう変わっていくのかは、読んだ人だけのお楽しみと致しましょう。あーでも「3.オーヴァーダン」でのマイケルは流石に、作者にいじめられすぎ。どのマイケルも同じことしかやってないのに、踏んだり蹴ったりもいいとこよ、酷いわアーチャー先生。
彼女がふりかえった。「ところで、マイケル、今夜のレストランは、ヘッド・ウェイターがいなくなった店、指が四本半しかないシェフの店、それとも売上げをごまかすバーテンダーのいる店?」
「売上げをごまかすバーテンダーのいる店だよ」と、わたしは笑いながら答えた。
彼女が家の中に入ってドアをしめたとき、近くの教会の時計が一時を打った。
ちなみに、この短編集は「十二枚のだまし絵」と冠しておりますが、原題は「Twelve Red Herrings(12匹の赤いニシン)」と言います。
赤いニシン(レッド・ヘリング)とは、燻製のニシンのこと。推理小説やマジックで、相手をミスリードするために偽の手がかりを提示する手法を指します。
ちなみに狐狩りの猟犬が、燻製ニシンの香りで注意を逸らされることに由来しているそうな。
新潮文庫の解説によれば、赤いニシンは内容だけじゃなくって、本文中に“Red Herrings”の文字が各短編とも隠れているらしいですが。その隠れミッキー、訳文だと全くわからないので、英語がご堪能な方は原書にて探してみて下さいまし。
12編の短編それぞれ、アーチャー先生が忍び込ませたレッド・へリング。
楽しいぞー。この短編集、どの一編を読んでも楽しいぞー。