“なぜ仏像を見続けてきたのか?”その答えは“ぐっとくるから”。でも“仏像のどこがぐっとくるのか?”と聞かれても明確な答えはない、ぐっとくるだけ。帆足てるたかカメラマンが撮る“ぐっとくる仏像”の“ぐっとくる写真”を一冊まるまる構成レイアウト。優しい顔、険しい顔、アラブっている顔……。多種多彩なぐっとくる仏像が一堂に介した、仏像ファン必見の一冊です。
(出版社内容紹介より抜粋)
昨日の「見仏記」では、ひとつだけ不満な点がありました。
それは、彼等が見た仏(ブツ)が、実際にどんな仏像なのかがわからないこと。
紀行文というそもそもの趣旨もあり、写真を載せることによって、かえってリアルな“仏パワー”が失われる恐れがあるという考え方もありますので「見仏記」に写真を掲載しないという意図はわからないでもありません。
とは言え、さあ?
やっぱり写真だけでも、ちょっと見てみたいのが心情ってもんですよね?
という訳で、久方ぶりの「見仏記」再読にあわせ図書館から借りてきたのが、この「ぐっとくる!仏像」です。
どうです?国宝や重要文化財など、仏像にレッテルなど貼らず、
素の心でぐっとこられては如何でしょうか?
ひとつご注意を。
「ぐっとくる!仏像」は、別に「見仏記」とのコラボではありませんので、「見仏記」に登場した仏像を全て網羅してはおりません。というか、むしろバッティングしている仏像は少なめ。
これは仏像写真ムック本シリーズ(なんてものが…)中の一冊なので、いわゆる有名どころは既にシリーズ別冊が押さえているという理由もありそうです。もしくは比較的無名の“ぐっとくる”仏像を掘り起こすという、セレクトしたみうらじゅん氏の思惑もありそう。
例えて言うなら『ベストヒットUSA』でマイケルジャクソンやマドンナを流さずにカーズやトーキングヘッズを流すような感じですね。わかるかな。わからなくても良いや。
いやでもね!数は少ないながらも、「ぐっとくる!仏像」の仏像について書き綴られている「見仏記」の記述を見つけると、超楽しい。
2冊並べて読んだ私の選択に誤りはなかった!
以下、「見仏記から」いくつかのバッティング箇所を引用して検証。
室生寺 十一面観音菩薩立像では…
「やっぱ、ピンで写真集出せる人は違うよ」
みうらさんによれば、室生寺の十一面観音はそれ一体のみの写真集になっているという。
「つまり、ずらっと並んだこの仏(ブツ)はさ、全部でCCガールズみたいなもんでしょう?で、青田のソロ写真集が出たようなもんなんだよ」
大報恩寺 十大弟子像では…
“全員、関西の落語家に見えるね”
五刧院 五刧思惟阿弥陀仏坐像では…
とにかく頭がでかかった。想像をはるかに超えて膨れている。蜂の巣の集合体のようだ。笑いが喉元までせり上がる。それでも、我々はなんとか我慢をして、必至の形相で見仏を続ける。にらめっこみたいな気分になってきた。
ところが、しばらくその状態でいると、それが最もこの仏像にふさわしい見方に思えてき始めた。そもそも、五刧という莫大な時間そのものが大いなるユーモアである。そして、膨張する螺髪で無限をあらわす態度も、ゆったりとした笑いを基本にしているはずなのだ。眉を寄せて抽象的な思考をする者は、逆にこの阿弥陀に笑われるに違いなかった。
新薬師寺 伐折羅大将では…
後にロンドンでパンクブームが起り、若者は髪を染め、立てた。しかしそのルーツが「十二神将だって誰も気付かなかったわけさ。」
ちなみに伐折羅大将は、かの仏像メリーゴーランドの内の一人よ!
いやー。超楽しい。
“ぐっとくる”観点から他の仏像写真もとっくりと眺めてみれば、じわじわと、ひたひたと押し寄せる“ぐっとくる”ウエーブ。
「ぐっとくる!仏像」と「見仏記」は、2冊並べて読むのがオススメよ。その選択に、誤りはないよ。