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連城三紀彦「恋文」

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マニキュアで窓ガラスに描いた花吹雪を残し、夜明けに下駄音を響かせアイツは部屋を出ていった。結婚10年目にして夫に家出された歳上でしっかり者の妻の戸惑い。しかしそれを機会に、彼女には初めて心を許せる女友達が出来たが…。表題作をはじめ、都会に暮す男女の人生の機微を様々な風景のなかに描く『紅き唇』『十三年目の子守歌』『ピエロ』『私の叔父さん』の5編。
(「BOOK」データベースより)

 

第91回(昭和59年度上半期) 直木賞受賞

「恋文」が直木賞を受賞した時、選考委員の五木寛之はこんなコメントをしてました。

造花の美が時には現実の花よりリアリティを感じさせることがあるという、小説ならではのたのしみ(原文傍点)を充分にあじあわせてくれた佳作となった。

連城三紀彦が咲かせる華は、細部まで作りこんだ固い造花。枯れた葉も萎れた花びらもある、きっちりしっかりと細い針金で絞り込んだ造りものの華です。
造りものの華は、時として生きている花よりもリアルで、美しい。
この本は表題作の「恋文」を含む5編の短編集ですが『どの話が一番好き?』と聞かれたら困っちゃう。いやホントに困っちゃう。
でももっと困るのが『どの男性が一番好み?』という質問です。「恋文」に出てくる男は、どいつもこいつもダメんずというか“ワケわっかんねー”男共が揃っています。
というか、長編短編、ミステリ恋愛大衆小説、どのジャンルにおいても連城三紀彦の小説に出てくる男はどいつもこいつも“ワケわっかんねー”男達です。
彼等の魅力(?)に私が気付けないのは私がまだオコチャマだからなのか。
トウのたったオコチャマではあるが、「恋文」の短編5つに登場するダメんず5人衆に愛おしい気持ちを持てるほど、私はまだ母性が発達していない。
表題作『恋文』の男、将一然り。

「……俺、ラヴレター貰った……」
「馬鹿ね。離婚届じゃないの。あんたの分の印鑑も押しといたから」
将一は封筒を胸にあて、首をふった。
「ラヴレターだよ。俺、こんな凄いラヴレター初めて貰った……」

余命半年と聞かされた昔の女を看取るべく、妻子を置いて家を出た将一に妻の郷子が渡した離婚届。
この郷子も意地っ張り。風呂場でひとり『おんな心の未練でしょう~』と都はるみなんぞ歌いつつ、死期の迫った女と元夫の結婚式でスピーチしちゃう意地っ張り。
『紅き唇』の男、和広然り。

「日本の道路には中古車のほうがなじむんですよ。なにも高い金だして新車買わなくても」
—(中略)—
大学卒業後六年勤めた広告代理店の倒産後、杉並区のはずれの小さな中古車センターに勤めだして二年がたち、やっとそんな言葉で今の仕事を納得するようになった。
倒産の少し前には、結婚にもしくじっている。初めのうちは、無理にでも中古車に愛着を持つことで、三十前の若さですでに先細りしはじめた人生を弁解していたのだが—(中略)—人間とおなじで車も多少傷があり、ノンビリしてる方が安心して身をまかせられるところがある。なにも青信号にかわると同時に勢いよくとびだすだけが人生ではなかった。

多少傷のある中古車和広をめぐり嫁姑のライバル関係で争う、本当は嫁でも姑でもない女二人がいます。日本の女には中古男がなじむのか?!
『十三年目の子守唄』の男、俺然り。

「父親らしいこと何もしないで何が父親だって言ったな。それは俺の言いたかったことだよ。こいつは去年の夏からみんな知ってたんだ。知ってたけど今まで兄ちゃんと呼んでた男が父親だって、しかも父親が自分のこと子供だとは気付いてないって、そんな残酷なことこの歳でどうやって納得するんだ」

自分の母親が再婚して、年下の“お父さん”が出来てとまどいイライラしていると思ったら、年下の“お父さん”は自分の弟の“おじいちゃん”だった事が発覚してさらにそれを自分だけが知らなかった呑気さも発覚してまあびっくり。
『ピエロ』の男、計作も然り。

今、夫が「俺やっぱり出ていきたくないよ」と言えば一昨日の言葉などすべて忘れ、黙って肯けそうな気がした。
「私、きっと一人ではやっていけない……」
美木子はそう呟いていた。
「やっていけるよ。お前もう一人前だよ。浮気できりゃ女は一人前だよ」
嫌味ともとられかねないそんな言葉が、本当に励ましになると信じているのか、計作はひどく真面目くさった声であった。

“髪結いの亭主”の計作は、妻の浮気を知って『自分も浮気した』と嘘をついて家を出て行きます。『ピエロ』の計作は、ダメんずのフリをした非ダメんずですね。
『私の叔父さん』の男、構治然り。

「今夜も綺麗だからいい——」
「——?」
「今夜だけじゃなく最初の晩からよかった」
「何が良かったんだ」
「今夜も下着綺麗だからいいの……」
そんな言葉も大人すぎる真紅の口紅も似合わず、幼い線を残した唇は少し淋しそうに見えた。
「兄ちゃん、私が毎朝下着洗ってるの、何故だと思ってたのよっ」

売れないカメラマン志望の男が、6歳年下の姪に上記の言葉をぶつけられ、その後死んだ姪の娘には不倫相手との子供の父親役を押し付けられ、考えてみれば構治おじさん超とばっちりなのに何故だかそれを受け入れちゃう。
流れ流れて流されて~構治はきっとワリ食う山羊座~。

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「恋文」が直木賞をとったのは昭和59年。
その年“ピーターパン症候群”という言葉が結構話題になりました。

大人という年齢に達しているにもかかわらず精神的に大人にならない男性を指す言葉。 カイリーは著書の中で、ピーターパン症候群は「成長する事を拒む男性」として定義している。また同作家は、これに関連して『ウェンディ・ジレンマ』(原題:Wendy Dilemma)も1984年に出版している。
(Wikipediaより)

連城三紀彦が“ピーターパン症候群”を意識していたのかいないのかは分かりませんが、「恋文」に出てくる男達は、揃いも揃って大人になれないピーターパン的人生を歩んでいます。
そして、そんな男達に“ワケわっかんねー”と思いながらもクラクラきちゃう女達は、擬似母のウェンディ。どちらが欠けても成立しない共依存の関係は、女性の方もどっこいどっこいですね。
リアルに描くとむせかえるから、連城三紀彦はその共依存の関係性を、技巧的な固い造花に作りこみました。
枯れた葉も萎れた花びらもある、きっちりしっかりと細い針金で絞り込んだ造りものの華です。
造りものの華が、時として生花よりもリアルで美しいように、不完全な愛情は、時として完全でまっとうな愛情よりも美しい。
と、連城三紀彦は造花を咲かせたのかもしれない。
造花の美しさも、小説の楽しさもわかるけど、その男女の機敏は“ワケわっかんねー”なあ。

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