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林真理子「断崖、その冬の」

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西田枝美子は「北陽放送」の看板アナウンサー。「ミス北陽」と謳われた美人である。その枝美子も、今年で三十四歳。冷たく澱んだ北陸の冬は、身辺にも迫ってきた。ラジオへの転属をほのめかされ、孤独を味わう日々。が、そこへ一人の男が現れた。六歳年下のプロ野球選手の志村は、若く荒々しく甘美な情熱で枝美子を虜にする。その冬の終わり、男は枝美子の希望そのものであった。
(「BOOK」データベースより)

押しちゃえ、押しちゃえ!その背中、押しちゃえ!

…と、無責任な読者代表の私は思ったりしますが。きっと主人公の枝美子は、自分を捨てた恋人・志村の背中を、断崖絶壁から突き落とさないのだろうなあと予測します。
その腕に力を込めるには、ちょっと枝美子の理性が邪魔をする。
 

三十路半ばの焦燥感から若い男との未来に救いを求めるほど愚かな女なんだから、いっそ相手の男を突き落とすくらいまで愚かになりきっちゃっても良いのにね?

が、枝美子はそれについて、もう深く考えるのをやめた。真美のことばかりでない、もうすぐ引き継がなければならないラジオ番組のことも、枝美子の心から遠いところにある。
今はただ、ふわふわとしたからだを押さえるようにして車に乗り、男に繋がるものに歩いていくだけだ。

自分語りになりますが。
私 さくらが20代終わりまぎわに、勤め先の婦人服メーカーで営業職への異動を打診されたときのこと。
その後に私の上司となった、女性営業部長はこう言いました。

『女は35歳過ぎたら、求人がグッと少なくなる。それまでに得意分野を作っておかないと、転職したくなった時に選べないわよ。
 だから今のうちに営業に移って、スキルを身につけておきなさい』

 

確かに2016年の今現在を見ても、求人対象年齢は35歳が大きな区切りとなっているのが現実です。厚生労働省とか企業じゃあねー。採用の年齢制限は無しって言ってるけどねー。そんなのウソ、求人広告に騙されちゃあいけないよー。
 

その後いろいろあって、私自身は洋服やさんから全く違う仕事に移りましたが、今思い返してみてもK部長の言葉は至極納得のアドバイスだったと思っています。K部長ありがとう。
 

「断崖、その冬の」の主人公の枝美子は34歳。
35歳という大きな区切り線を、踏み越える寸前。

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この小説を10数年ぶりに読み返したら、びっくりするほど主人公に感情移入できなくなっていてびっくりしました。
初読の際には、さくら27~28歳前後。34歳の枝美子に対しては『オバサンって大変』と、枝美子の焦燥感を揶揄する気持ちと、自分にもひたひたと忍び寄る賞味期限切れの宣告を背中に感じる共感が交じり合っていたように思えます。
 

で、さくら46歳の現在。
いまの自分から見たら、枝美子の気持ちが『なんじゃそりゃ』ってくらいにわからない。
 

いやね、想像は出来ますよ。仕事上でも先行きが見えず、社内でも居心地が悪くなりつつある状況下では、チャンスがあれば『結婚』の二文字に逃げ込みたい気持ちも想像はできる。
でも、それにお付き合いしなくちゃならない義理は男の方にはないし。枝美子さん自身の男性遍歴からしても『数回寝たら結婚ね』の純情さは既にして無いし。
『愛してる』と言われたから期待するなんて、枝美子ちゃん、あぁたそりゃ、期待する方が間違っていないかい?
 

そもそも男・志村は、枝美子との数ヶ月間の逢瀬の中で、何らかの約束は一切していないのです。
プロポーズもせず、一緒に東京に行こうなんて言った覚えもなし、二人の未来を匂わせるような発言は「断崖、その冬の」では出てきません。
 

ちょいと強引に彼女を連れまわしているキライはあるものの、枝美子が拒否しようと思えば拒否できた話です。
 

つまり、彼女は自分で年齢を感じ、自分で行き詰まり、自分で男の誘いの乗り、自分で夢中になって、自分で期待をしていただけ。
そして男に捨てられたら。

自分にはこの男の背を押す権利があると、神も言っている。枝美子は昂然と顔を上げる。

権利…あったっけ?
神さま、そんな権利、くれたっけ?
 

自分の権利を穿き違えるほどに愚かな女ならば、いっそ相手の男を突き落とすくらいまで愚かになりきれば良いのに、枝美子の中途半端さ加減がさらに愚かなり。
 

そういう自分の感想が、すっげえオバチャン的だなあとびっくりさせられた「断崖、その冬の」の再読感でした。
いやー怖い怖い。自分が怖い。女の敵は女って、本当だなあ。

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