ぼくの体に、何かとんでもない変化が起きている。東京全都を嘔吐させるような異臭がぼくの体から漂い始めた。原因はわからない。気弱なぼくを信じてくれる人はたった1人。コンピュータを自在に操る天才少年たちも仲間だ。八方ふさがりの迷路の中で、今、ぼくのとてつもない青春の冒険が拳をふり上げる。
(「BOOK」データベースより)
本棚にある「スメル男」を「スルメ男」と読み違えていた我が娘。
娘に「どんな本?」と聞かれ
「くっさい男の話よ」
と答えたことがあります。
スメル=匂い。
そう、そのまま、スメルな男の小説です。
主人公の“ぼく”は、精神的なストレスが原因により嗅覚障害が起こった男性です。
なおかつ、いくつかの偶然によって自分の腋の下からもの凄い悪臭が発生してしまいます。
この悪臭レベルがハンパない。
『謎の異臭』が新聞沙汰になってしまうほどの広域で、嗅いだ人間があまりのクサさに嘔吐するレベル。
つまり、東京都中ゲロまみれ(いやー!)東京全都へのスメル・ハラスメント。
ホント小説で良かったわ。これが事実だったら、確実にさくらの家もゲロまみれ。
“ぼく”自身は嗅覚障害のために、自分の匂いを感じられないのですが、彼の恋人は彼の悪臭をものともせず、恋に落ち、果てには妊娠(に至る行為)までやぶさかでない。「スメル男」の中で一番の勇者は、彼女だな。
で、主人公の悪臭を生物兵器として活用せんと企む秘密組織がやってきたり、IQ350超えの天才少年が登場したりして、悪臭とゲロにまみれた“ぼく”が騒動に巻き込まれていく訳なのですが・・・そうです。これは冒険活劇です。及び青春小説です。
間違っても社会派的なリアリティを求めてはいけません(そもそもこの題名で社会派を連想する人はいないか?)
小説にリアリズムを求める向きも、今回はお止めになってね。リアルになると臭くなるからね。
原田宗徳は、小説とエッセイで「同じ人が書いたのっ?!」ってくらい作風が異なります。
躁うつ病にかかっていると自らおっしゃってますが、いうなればエッセイが躁?小説が鬱?
さくらはもともと、原田宗徳はエッセイから入ったタチなので、彼の書く小説に関してはあまり好みでなかったりもしました。
若きウェルテルの悩み、もしくはポール・ニザン?
ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。
(ポール・ニザン「アデン アラビア」より)
若さゆえの葛藤とか、ナイーブさとか、生き辛さとかが前面に押し出された作品が多く、若かりし頃のさくらちゃんでも共感し難い箇所が多かったな~。好みの問題として。
この「スメル男」に関して言えば、原田宗徳小説群の中ではかなりエンターテイメント色が強いので、ポール・ニザン的葛藤はオブラートに包まれております。
冒険譚として読むも良し、青春譚として読むも良し、ただ単純にクッサいドタバタをワハハと笑って読むも良しです。
若いときの鬱屈とか葛藤とかって、オトナになると良かれ悪しかれ薄まっていくもののような気がするのだけれど、原田宗徳の場合にはそれがいつまでも消えない靄であったみたいです。
数年前に覚せい剤所持で逮捕されたのは、病気ゆえか。それともいつまでも残るポール・ニザンの亡霊ゆえか。
原田宗徳さん、復帰待ってます。また、呼吸困難になるほど笑えるエッセイの発刊、お待ちしてます。
ところで、我が娘に聞きたいんだけど。
「スルメ男」だったら、どんな話だと思ってたの?