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浅田次郎「天切り松闇がたり〈第3巻〉初湯千両」

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「武勇伝なんぞするやつァ、戦をしたうちにへえるものか」二百三高地の激戦を生きのびた男はそうつぶやいた…。シベリア出兵で戦死した兵士の遺族を助ける説教寅の男気を描く表題作「初湯千両」など、華やかな大正ロマンの陰で、時代の大きなうねりに翻弄される庶民に味方する、粋でいなせな怪盗たちの物語六編。誇りと信義に命を賭けた目細の安吉一家の大活躍。堂々の傑作シリーズ第三弾。
(「BOOK」データベースより)

「闇の花道」そして「残侠」まだまだ続く天切り松シリーズ第三弾。

いつまで続けるのかって?そうねえ、ライムライトが舞台を照らすまでは。

「親分さんに改めて申し上げます。あっしの二ツ名は人呼んで百面相の書生常。百の芸のうち五つばかりお披露目さしていただいただけでござんす。なら、ごめんなすって。エクスキュゼ・モワ、オー・ルヴォワール・ムシュウ」

天切り松シリーズは2017年7月現在、〈1〉から〈5〉まで出ておりますが、極私的にはこの「〈3〉初湯千両」が一番好きでござんす。

いや〈1〉も良いけど。しかし〈2〉も捨て難い、いやいや〈5〉も…言い出したらキリがないので、とりあえず今日の処は本書に軍配を。明日はどうか分からない。

上記の引用は『第二夜 共犯者』のラストで松蔵の兄貴分である常次郎が安吉親分に言う台詞。

帝国ホテルの特等客室に長期滞在する東京帝大法学部教授の本多常次郎先生、その実は詐欺師“百面相の書生常”

天切り松の各種作品の中でも、常兄ィの仕事(ヤマ)を取り上げた短編はいつもキュートでお洒落で良いですね。『共犯者』では常兄ィはリリアン・ギッシュかくやの美少女と、フランス人のボーイ、執事、老齢の乳母、さらには皇室の宮殿下を早変わりで演じ分け、成金の政治献金をかすめ盗ります。オッシャンティ~。

また、『第三夜 宵待草』では竹久夢二のあの名詩“宵待草”は、おこん姐さんをモデルに描かれたそうな!

「惚れっぽいのに抱かれ下手」なおこん姐さんが可愛くってねえ。たまらんよ、おい。

待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな
(竹久夢二 宵待草に題す)

しかし。第三弾「初湯千両」のNo.1は、『第六夜 銀次蔭盃』これは譲れない。

小癪なまでに格好良く、あざといまでに泣かせやがる。浅田次郎の手の内で転がされる、泣かされる。


「闇の花道」「残侠」で既に申し上げている通り、主人公の松蔵は実在の箱師“仕立屋銀次”の孫分にあたります。

仕立屋銀次~目細の安~天切り松という流れね。

「闇の花道」のそもそもの最初で銀次さんは、警察・検事と組んだ手下から離反にあって網走刑務所に収監させられております。

安吉親分は離反には与しなかったのだけれど、銀次親分の知る由もなく、銀次は安吉が裏切ったと誤解したままの状態です。

「警視庁の金看板を掲げるみなさんなら、一度や二度は網走刑務所を見学なすったことはござんしょう。聞くところによれァ、何でも今じゃあ日本一居心地のいいムショだそうで。だが——あっしの見た大正もなかばの網走監獄は、そこに落ちるぐれえならいっそ首をくくられたほうがよっぽどましな、この世の地獄でござんした」

ところで話は変わりますが、この話をしている天切り松(老人)は、本庁の道場で警視総監をはじめとする警視庁の面々を相手に、かつての思い出話を語っております。

天切り松シリーズの中で、ここらへんの“天切り松じいちゃんの出世ぶり”だけはイマイチ気に食わないんだよなー、と、感じるところです。シリーズ最初の方では留置場でとっつぁん扱いされていたのが、回を重ねるうちにどんどんお偉いさん感が出てしまってなあ。

看守のおっちゃんに『たいがいにしとけよ』位に言われておいた方がかえって心地良いんだけど…狂言回しの松蔵をそのまで格上げしなくても、良いんじゃありませんかねえ、浅田先生?

閑話休題。

仕立屋銀次に面会に行くため、松蔵をお供に北海道は網走くんだりまで遠征する目細の安。

敬愛する親分(銀次)に、自分が裏切ったと誤解されたままでいることには耐えられない。とはいえ自らも盗人ですから、刑務所までわざわざ伸すのは自ら火中に飛び込むようなものですからねえ。

あ、でも流石は目細の安。その貫禄で、手が後ろにまわるような失態は万が一にもいたしませんのでご安心のほどを。

網走監獄の典獄(看守長ですね)は、目細の安が仕立屋銀次に面会するために、ひとつの条件を出しました。

と、やおら典獄は笑みを消して言った。
「あなたも渡世人なら、仕立屋銀次との親子盃は肌身はなさずお持ちでしょう」
一瞬、安吉は眉を吊り上げて身構えた。
「はい、たしかに持っておりますが」
「その盃を、本官の目の前で叩き返していただきたい」
—(中略)—
「叩き返したその盃、本官が家宝にしたい。聞くところによれば仕立屋銀次の直盃は純銀製で、偽物さえ出回るほどの貴重な代物だそうですな・それも、名にし負う目細の安吉におろされた盃とあれば、天下第一等の宝物です。いかがですかな、杉本さん。その条件を呑んで下されば、接見は許可いたしましょう」
こいつは根っからの悪党だと松蔵は思った。法を楯に取って、人の心をおもちゃにしている。踏みにじっている。

さてさて!皆様さてのお立会い!

目細の安が悪徳典獄の条件を果たして呑んだのか、安吉親分と松蔵は仕立屋銀次と逢えたのか、銀次の誤解は解けたのか、本当に盃は叩き返したのか、その盃は今どこにあるのか!

銀色に冷たく光る盃の底を覗きこんで、仕立屋銀次と目細の安、親子の闇がたりをご想像くださいまし。いや、泣けるから。

天切り松はぐいと背筋を伸ばすと、居並ぶ官を睨みつけて、肚の底から声を絞った。
「あっしァ、痩せても枯れても目細の安吉が子分にござんす。仕立屋銀次の孫分にござんす。天下の盗ッ人に腐れワッパを打てるもんなら、打ってみなっせえ。捕れるもんなら、捕ってみなっせえ」

いや、泣けるから。

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