殺人3件・未遂多数。北海道・別海町の名家に育った女が、男たちを次々と毒牙にかける―女と男の闇を射る佐野ノンフィクションの真骨頂。
(「BOOK」データベースより)
《ほんのむし「別海から来た女」をはじめて閲覧頂いた方へのご注意》
この書評は、前記事からの続きものとなっております。
恐縮ながら「毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記」からお読み下さいませ。
今回は2冊のつづきもの形式としているため、この「別海から来た女」を取り上げている訳ですが、もしも「別海から来た女」を単独で読んでいたら、ほんのむし のお仲間に入れたかどうかは分からないな正直なところ。
ルポタージュとして不出来という意味ではないのですが、著者の佐野眞一の木嶋佳苗に対するミソジニーがハンパないんですもの。
「また出来の悪いハーレクイン・ロマンスが始まった。これだからデブでブスのスカーレット・オハラは困る」と心中ひそかにに毒づいた。
(「別海から来た女」より)
どうしてこんなに佐野眞一が木嶋佳苗に対して悪意を持っているのでしょう?
その理由が『私は木嶋佳苗に殺されかけた』から、だそうなんですね。
ええっ?!って文章を読み進めて行ったら、取材中に別海町のホテルで心臓が苦しくなり、狭心症の手術を受けるハメになったのは木嶋佳苗に呪われたからだって…
えーええーえー?それ理由ー?!
『私はこの女の恐ろしさを骨身に沁みて知っている』って言われたって…あぁた、さすがにその事件に関しては、木嶋佳苗は無罪判決でしょうよ。
まあ、できるだけフラットに、ほんのむしは進めよう。
木嶋佳苗の100日裁判も、まだ続きます。
同じ法廷でのやりとりを傍聴しているおふたりではありますが、同じ風景を見ていても、「毒婦。」の北原みのり氏と、「別海から来た女」の佐野眞一氏では、その捉えかたが全く異なる箇所があります。
それは、殺害された男性の遺族が、被害者がかつて練炭を使用していたかの質問に対して。
「千代田区の神田で生まれ、ずっと千代田区で育ちました。二十三区の人間が練炭を使うという発想はなかなかないと思います。その発想は北の国の人が考えることかなと」
北原みのりは、こう見ました。
この瞬間、佳苗は思いきり首を傾げ、口角を下げ。「はあ?」とバカにした笑みを一瞬浮かべ、突如凄い勢いでメモをとり始めた。あまりの豹変に驚いた。初めてみた佳苗の生々しい表情だった。
佳苗は北海道別海町の出身だ。ブスと言われても動じず、殺人の疑いをかけられても他人事ふうの佳苗の弱点は、田舎者扱い、なのだろうか。こちらがたじろぐほど、「北の国の人」に、佳苗は強く反応していた。
(「毒婦。」より)
対する、佐野眞一の感想は。
「北の国の人」という表現が、暗に木嶋を指していることは明らかだった。だが、木嶋はまったく意に介さない様子だった。
(「別海から来た女」より)
ふたりの印象の、どちらが正しかったか、を言いたいわけではありません。
私がもし同じ裁判を傍聴していたとしたら、上記のどちらの感想を抱いたのかはわからない。もしかしたら、また違う3つ目の感想を抱くのかもしれない。
ただ、私はこのふたつの全く違う描写を読んで「人間は、自分の見たいものを見るんだなあ」と考えたのですよ。
おそらくは北原みのりも佐野眞一も、自分が想像する木嶋像が心の中にあって、それに当てはまるピースをはめこんで“木嶋佳苗”を作り出しているのだろうと思います。
それはドキュメンタリーを書く上だけの話ではなく、おそらくは、木嶋佳苗の周囲の人々も。だまされたり、殺されたりした男たちも。
彼ら(及び彼女ら)にとって“木嶋佳苗”とは、『自分が考える木嶋佳苗』『自分が願う木嶋佳苗』に合うピースの集合体だったのかもしれないと。
ニュースでご承知の通り、2012年4月13日に、木嶋佳苗は第一審の死刑判決を受けました。
直接的な証拠が一切なく、状況証拠だけを積み重ねて下された死刑の判決に、ふたりは揃って違和感を感じています。
でも、その違和感の理由すら、「別海から来た女」と「毒婦。」では異なるのです。
判決文は右陪席の裁判官が書く通例通りなら、これを書いたのはおそらく、木嶋が“名器”などの臆面もない発言をする度、眉をひそませていた東大出の美人裁判官である。・・・(中略)・・・彼女は木嶋佳苗が大嫌いなのだろうが、それと判決とは別問題である。気持ちはわからないではないが、今後の裁判員裁判制度を考えると、もやもやしたものが残った。
(「別海から来た女」より)
裁判員に20代、30代の女性がいなかったことは、判決に何か影響を与えただろうか。裁判員と裁判官が“結束”した時に、違う意見を言い出しにくい雰囲気にはならないだろうか。
・・・(中略)・・・そう。50代の男性裁判長は、佳苗に厳しかった。繰り返し被害者の男性たちを「結婚に対して普通の価値観の男性」と表現し、佳苗の異常さを際立たせた。そんな裁判長の価値観は、裁判員の判断に何か影響を与えることはないのだろうか。
(「毒婦。」より)
例えるならば、小学校の掃除の時間に起こった男子と女子のケンカみたいに。
ケンカの理由を、男子は女子のせいにして、女子は男子のせいにして。
100日間もの長い間、同じ室内の、ほど近い一区画で座っていたふたりなのに。
見ていた景色も、抱いた感想も違う。やっぱり、男と女の間には深くて暗い河がある、という結論に達した さくらでございました。
ちなみにですね。
木嶋佳苗に関するドキュメンタリーを2冊読んだら、次はやっぱり木嶋佳苗本人の著作「礼賛」に手を出すべきなんでしょうかね?
読んでみたい気もするが、ちょっと手を出し辛いなあ。
木嶋佳苗が発する熱と、毒に、今の私がかなう気がしない。