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桐島洋子「聡明な女は料理がうまい」

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果断な決断力、大胆かつ柔軟な発想、ゆたかな包容力…。世に「男性的」といわれる資質こそすぐれた料理人の必要条件だ。それなのに男達が女を差別して「男性的」な世界から疎外するから、女はいよいよ女性化して料理がヘタになる。男まさりのいい仕事をしている人ほど料理の手ぎわがいい。すぐれた女はすぐれた料理人なのである。女ひとりの優雅な食卓からパーティのひらき方まで。
(「BOOK」データベースより)

 

私の本棚にある「聡明な女は料理がうまい」は、もともとは母の蔵書でした。
母が付けた手作りブックカバーは、当時私が買っていた少女雑誌「なかよし」の付録の包装紙だったりします。しかもキャンディキャンディ。時代~。
 

母は私 さくらが19歳の時に死去しておりまして、母の私物は書物も含めて殆どが処分されています。
いま私の手元に残っている母の本は3冊のみ。
 

以前 ほんのむし に登場した、有吉佐和子「乱舞」、曽根綾子「砂糖菓子が壊れるとき」、そしてこの桐島洋子「聡明な女は料理がうまい」
 

この3冊の著者ラインナップを見ると。
…何か見えてくるものがあるぞ。


 

有吉佐和子、曽根綾子、桐島洋子は、いずれも1970年代当時に“才女ブーム”のフラッグシップとされていた方々です。
「自立する女」やら「ウーマンリブ」の言葉が広まった時代ですね。
そういえば今では、フェミニズムとは言ってもウーマンリブって言わないなあ。
 

母が上記お三方以外の本を読まなかった訳ではないのですが、残存している所蔵本が、いずれもウーマンリブの旗手であるというのは『実に、おもしろい』(福山雅治ちっくに)
そういえば母がずっと愛読していた雑誌は「婦人公論」でした。
病院のベッドにも婦人公論の最新号がいつも置いてあったなあ。
 

私にとって母は、あくまでも子供目線から見た“母”の印象しかないのですが、遺された書物からは母が“母”でなく“ひとりの女性”に見えてくる。
…ってまあ、格好つけずにぶっちゃけた感想を言えば、この人結構キッツい女じゃねーか?

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全然「聡明な女は料理がうまい」の話をしていないので、ここからはちゃんと本のご紹介に入りましょう。
この本は“料理本”と銘打たれてはおりますが、いわゆるレシピ本とは異なります。
料理を通じて男を料理する?人生を料理する?ための“生きかたレシピ本”とでも申しましょうか。うーん桐島洋子っぽいわ~。
 

とはいえ、料理レシピについても多くのページがさかれていますので、普通の料理指南本として読んでも損はなし。
実際に私も「聡明な女は料理がうまい」で紹介されているレシピで冷凍クッキーを作ったこともあります。メシマズ嫁にも手を出せる簡単レシピよ~。ありがとう桐島センセイ~。
 

でも、やっぱり桐島洋子の言葉を好む人は、料理レシピよりも求めるものがあるよね。
桐島洋子ご本人だって、料理研究家とは違うんだから、料理本を使って語りたい言葉があるよね。
 

その結果、本の中の小見出しが、例えばこんな感じに。
 

「女の自立は台所の自立から」
「荒らくれ男を手なずける喜びを料理にも」
「必要のない進歩は料理をダメにする」
「台所道具とはせっせと婚前交渉を」
「新案特許オバケ、景品オバケに弱い主婦」
「食卓にもおしゃれと身だしなみを」
「モリュー・ベシャメル・オ・グラタンなら失敗しても挫折はしない」
「人間の手ごたえを確かめ合えるパーティを」

 

こうやって小節のタイトルを抜粋してみると、なんというか桐島洋子の気合いが感じられますね~。
「自立した女性をワタシが育てる!」みたいな。ちょっと意地の悪い言い方でしょうか。
 

実際に女性を啓蒙するという目的もあったのは当然でしょうが、それよりも桐島洋子が「聡明な女は料理がうまい」を書くことによって、自分自身を奮い立たせるという気持も大きかったのではないか、と、勝手に推測します。
今よりももっと、自立した女性には風当たりの強い時代であったしね。
 

当時としては大胆な思想で、世の女性と自らを鼓舞しつつ、ウーマンリブ = WomenのLiberation への道をさぐっていた桐島洋子が見えてくるのです。
 

上記アマゾンのリンクは母の所蔵本と同じではなく、2012年に出た復刻版です。
1970年代に大ベストセラーになり、世の多くの女性が読んだ本。

復刻版を今、はじめて読む女性は「聡明な女は料理がうまい」にどんな感想を抱くんだろう?
古くさいと切り捨てるかな?
時代が違うわよと思うのかな?
いまでも桐島洋子が目指した WomenのLiberation への道は、まだまだ先が遠い気がするんだけれども。
 

まあ、ひとつだけ言えることは。
有吉佐和子と曽根綾子と桐島洋子を愛読し、婦人公論を毎月読んでいたウチの母が生きていたら、かなりキッツい姑になっていたのは間違いないだろうという事実。
我が義姉にとっての幸運を、心ひそかに喜ばずにはいられない。人生万事塞翁が馬か。

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