ぼくに与えられた使命、それは勝利のためにエースに尽くすこと―。陸上選手から自転車競技に転じた白石誓は、プロのロードレースチームに所属し、各地を転戦していた。そしてヨーロッパ遠征中、悲劇に遭遇する。アシストとしてのプライド、ライバルたちとの駆け引き。かつての恋人との再会、胸に刻印された死。青春小説とサスペンスが奇跡的な融合を遂げた!大藪春彦賞受賞作。
(「BOOK」データベースより)
新潮文庫版「サクリファイス」をベッドの上に転がしておいたら、娘がそれを見つけて
「母さんはこういうの(スポーツ系)好きだねえ」
と、言いました。
あれ?インドアさくらちゃん、スポーツ系が好きだったことなんてあったっけな?
まあ、堂場駿一を読んでいれば、警察小説とスポーツ小説に偏りがちなのは已む無しところ。
でも私、もともとスポーツ小説が好きなワケじゃないのよお嬢さん。あくまでも堂場好きってだけなのよお嬢さん。
と、なにを言い訳する必要があるんだって感じの言い訳をしつつ、初めての堂場以外スポーツ小説、初めての近藤史恵小説、が「サクリファイス」
たぶん、みんなにもわかっている。伊庭は、勝つことを期待されて、レースに出場する。だが、ぼくは働くために行くのだと。
ゼッケンの数字にも、スタートリストに記された名前にも、その違いは表れない。
それでも、そこには、決して埋めることのできない溝がある。
数年前、テレビでツール・ド・フランス(おおフランス大旅客団)をやっているのを観たことがありまして。
……すっごくつまんなかったことを覚えています。
どうやらね、その年は世界遺産のモン・サン・ミッシェルがスタート地点になる特別な年だったそうなのですが、モン・サン・ミッシェルからの道が細くってねえ。
元日の初詣に並ぶ群れのように、細く長い道を数多の自転車がミチミチとミチミチと。
もちろん、そんな状態ではスピードなんて出せやしないですよね。もしかすると実際にはそこそこスピードが出ていたのかもしれませんが、テレビ画面ではノタノタ大量の自転車が並んでいるようにしか見えませんでした。
で、テレビを放置してしばらく。
再び観戦してみると、今度は山の中でポツラポツラと自転車が走っているばかり。抜くも抜かれるもなく、何やらドラマチックな展開があることもなく。
予備知識も熱情もなく観ていた私が悪いのは分かっちゃいますが、結局、ロードレースは私の心をゲッチューとならず仕舞いでした。
で、今になってだよ。
いま、もう一回あのときのツール・ド・フランスを観てみたら、もうちょっとは楽しめるんじゃね?とも思ったりします。
「サクリファイス」を読んだら、ちょっとロードレースが観たくなる。
「サクリファイス」は自転車競技ロードレースを題材にした小説です。
スポーツ小説?ミステリ?サスペンス?新潮文庫の内容紹介には青春小説とも書いてある。どのジャンルに属させるかは、お好みで。
主人公は国内リーグに所属するプロ選手の白石誓(ちかう)くん。あだ名はチカ。
彼の役割は、トップを張るエースではなく、エースをサポートするアシストとしての役割。
マラソンでも“ペースメーカー”として走る選手がいますよね(ソース堂場駿一)ロードレースのアシストも同じです。
風除けになったり、ペース配分をしたり。
エースの自転車がパンクしたら、自分のタイヤを外して差し出したりもするそうです。
自分の成績を犠牲にして、エースのために尽くす。
犠牲は、英語で言えばサクリファイス。
いや、ほら、主人公ですから。
ぼくは、石尾さんの前に出た。
シフトアップをし、ペダルに力を込める。
ぼくのゴールは、ゴールゲートではない。あの集団なのだ。
振り返って叫ぶ。
「引きます。ついてきてください」
石尾さんは頷いた。
平坦ほどではないとはいえ、山岳でもアシストが前を引けば、後ろの選手は楽に走ることができる。力を温存することができる。
もし、ぼくがゴールまで行く力をすべて使って、あの集団まで行けば。
そう、それがぼくの役目だ。そのあとはすべてエースに託せばいい。
心拍数が上がるのもかまわず、ぼくは速度を上げ続けた。
自分を犠牲にしてエースのために尽くす、サクリファイス。
——ですが。
熱で溶けたアスファルトに、少しずつ赤い血が広がっていく。
あらぬ方向に曲がった首と、ぴくりとも動かず投げ出された手。
茫然と立ちすくむ人たちの上で、空だけがさっきまでと変わらず青い。
教えてほしい。
どこからやりなおせば、この結果を避けられるのだろう。後悔せずにすむのだろう。
このタイトルには、もうひとつの意味があることが、ラストになって判明します。
どんな意味かってのは、ナイショです。
何が起こったのかっていうのも、明かさずにおきましょう。
ほら、ページ上の内容紹介にも書いてあるでしょ?“青春小説とサスペンスが奇跡的な融合を遂げた”って。これ、スポーツ小説ではないんですよ。
ですがね、スポーツ小説としても、十分楽しい。十分、ロードレースってものに興味を持たせられます。
次に私がツール・ド・フランスを観たら、もちょっとは楽しめるんじゃないか、それくらいの興味は、湧くよ。